福生市の「多摩川土手」は桜の名所として広く知られている。五日市線より下流側は確かに多摩川の土手に桜並木が続くが、五日市線より上流の多摩橋(五日市街道)に至る区間(東京法務局西多摩支局付近)は、ちょっと様子が異なる。多摩川の河川敷からは少々離れているのと、河川敷側から、車道、遊歩道、桜並木、一段下がった車道、という形で続く。遊歩道は両側が橋の欄干のような低い柵で区切られていて、その上を桜の古木の枝が覆いかぶさる、という独特の風景を作っている。
実はこの風景は、桜並木と遊歩道が、かつて、水田の縁に沿った土手であったことの名残である。桜並木の土手と上に玉川上水が流れる崖線の間には、昭和40年代まで水田が広がっていた。北田園、南田園という町名はそれに由来している。また、この遊歩道は一時期、五日市街道の道筋でもあった。現在の福生市はかつての福生村と熊川村が合併してできたものだが、両村の境が五日市街道であった。かつての田園地帯が宅地化に向け区画整理された時、大字福生から分離したのが北田園、大字熊川から分離したのが南田園という訳である。
(*):昭和41年改測・42年発行、国土地理院2万5千分の1地図(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップon the web」((C)谷譲二氏)により作成したものです。)