秋川とうもろこし焼酎「黄金世代」
のらぼう菜のお味噌汁も
JAあきがわが特産品開発
JAあきがわ(坂本勇組合長)は、名産のトウモロコシとのらぼう菜の加工品を完成した。焼酎とインスタント味噌汁で、新たな特産品として秋川ファーマーズセンターなど同JAの直売所で販売されている。 「黄金世代」の銘柄で売り出す秋川産トウモロコシを100%使った本格焼酎は口に広がるトウモロコシのほのかな甘みと鼻に抜けるさわやかな香りが特徴だ。 同JA青壮年部が主体となり、1年前から開発に取り組んだ。焼酎に最適な品種の選定、肥培管理や脱粒作業も自分た
ちの手で行った。茨城県の剛烈酒造が伝統的な白麹を使い、くせのないやさしい口当たりに仕上げた。7 2 0 ㍉㍑壜で1200本を製造。アルコール分
は25度。定価は1 3 8 0 円( 税込)。6月7日には試飲会を行い、商品を広くP R した。 「のらぼう菜のお味噌汁」は兵庫県の食品工場に製造を委託し、フリーズドライ製法で仕上げた具沢山の本物志向の味噌汁。のらぼう菜の風味があふれる一杯だ。ラベルの文字は坂本組合長が筆を握った。1 袋1 5 0 円(同)。
東京西徳洲会病院に災害用トイレを寄贈
東京徳友会 発会以来支援継続
東京西徳洲会病院(渡部和巨院長、昭島市松原町)に5月25日、自動ラップ式の災害用トイレと付属備品が贈られた。災害時、トイレは感染症の媒介になりやすく、衛生を保つことが大切なことから災害トイレの備蓄は重要性を増している。
寄贈したのは医療法人徳洲会の取引業者で組織する東京徳友会(樋口昭久会長)。14年前の発会以来、病院への支援を目的に、役立つものを送り続けている。ただ、新型コロナウイルス感染症の影響で、ここ2年間は中断。寄贈は3年ぶりとなった。
贈呈式には東京徳友会から樋口会長と松永忠夫顧問、病院から渡部院長、皆川孝雄事務長、鳩山悦子看護部長らが出席。樋口会長から渡部院長に目録が手渡された。
渡部院長は「開院から18年、地域や東京徳友会、ボランティアの皆さんの応援を受け、病院運営ができている。皆さんの期待に応えられる病院として頑張っていきたい」と感謝した。樋口会長は「コロナ禍、医療現場を守ることは大変だったと思うが、病院関係者の奮闘は東京徳友会として誇りに思い、感謝している。今後も支援を重ねていきたい」と話した。
贈られた災害トイレは排泄物をその都度ラップするため、臭いや微生物を密封。感染症の予防にもなり、後処理の手間が軽減できるという。
東京徳友会では5月30日に武蔵野徳洲会病院(桶川隆嗣院長)にも車いすと災害用トイレを寄贈した。
父の背中 先代の仕事と教え
いま「敬天愛人」の志高く
二刀流――医師をしながら老人ホームを運営。その間、青梅市議会議員を4期、都議を通算5期務めた。野村有信氏が27歳で御岳山麓の沢井診療所で働きはじめてから半世紀の活躍には、冒頭の言い方こそがふさわしい。
「父が青梅に来て5 年後の1973年に3男の私が生まれた。同年、武尊会を設立。翌年には成木の地に九つ くもえん十九園を開設している。市議初当選は79年なので、物心がつくころには、家で父を見ることはめったになく、子育てはすべて母に任された」
社会福祉法人東京武尊会法人本部長の野村大悟氏は苦笑しながら語る。終戦時5歳だった有信氏は、戦後の民主教育で育つ。墨塗りではない新しい教科書で学び、スポーツにも熱中。名門の都立戸山高校から日本医科大学に進み、68年に国家試験合格。
「沢井診療所が医師を求めていると知った父は、あえて無医村への赴任を選択。山道を往診に急ぐ父を支えたのが学生結婚をしていた母・康子。すでに2児をもうけており、幼子をおぶって受付から薬の手渡しまでこなしたという」
有信氏の座右の銘は、敬愛する西郷隆盛の教え「敬けいてんあいじん天愛人」。つまり、天から授かった使命に生き、無私の精神で人と社会に尽くすこと。議員を退いてもなお都議会自民党常任顧問の任にあり、市民の相談にも機敏に対応。4月から飯能市内で病院長にも就任した。
「一方、私は少年期から憧れていた芸術家をめざして美大に入った。在学中、ボランティア団体の代表になり、高齢者や障害のある方たちと接するなかで、社会福祉に興味を抱き、父が理事長として指揮をとる武尊会に入職する」
事務職を打診されたものの、介護職員としてスタート。大悟氏はやがて、自立支援介護に着目し国際医療福祉大学大学院で自立支援介護学修士を取得。専門的なケアを提供するかたわら、中国へのノウハウの普及や研修生受け入れに力を入れる日々だ。 【岡村繁雄】