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「東京都ドクターヘリ」
21年度中に運航開始 多摩地域で活用
都は2021年度中に、立川飛行場を拠点に主に多摩地域での活用を想定した「東京都ドクターヘリ」の運航を開始する。
立川飛行場に待機し、基地病院となる杏林大学病院(三鷹市)の医師、看護師も運行時間は立川飛行場に待機する。出動要請を受け、「東京都ドクターヘリ」は救急車と接続するランデブーポイントまで医師、看護師を乗せて急行。患者収容後すぐさま医療を提供していく。
運航開始に向け昨年末、奥多摩町氷川の登計原山村広場運動公園で、奥多摩消防署(茂木猛消防署長)の救急隊が、「東京都ドクターヘリ」とのランデブーポイントでの連携体制を細かく検証した。運行までに万全な体制を整えていく。
都内ではこれまで、東京消防庁が運航する消防ヘリコプター、大型機4、中型機4の計8機を使った「東京型ドクターヘリ」を運用し、伊豆諸島を含む遠距離搬送や複数患者の同時搬送に対応してきた。
今後は「東京都ドクターヘリ」と「東京型ドクターヘリ」の併用で、救急に対応した世界トップレベルの包括的な地域医療の構築と医療体制の充実につなげていくという。
下りのカーブに信号機
羽村街道 住民の要望叶う
羽村市羽東3丁目の禅林寺前の羽村街道(都道163号線)の交差点に信号機が設置された。1月24日、関係者が出席し、点灯式があった。
付近は奥多摩街道から羽村の堰方面への抜け道として交通量が多く、近隣の子どもたちの通学路、通園路になっている。下りのカーブで見通しが悪く、従来からその危険性が指摘されてきた。
数年前から住民から設置の要望があり、地元の秋山義徳市議らが井上信治衆院議員に相談。警察や都、市などに働きかけてきた。点灯式のあいさつで井上衆院議員は「ようやく信号機を設置することができ、良かった。信号機によって地域の交通安全が保たれることを願っている」と話した。
父の背中 ■16■ 先代の仕事と教え
〝秋川ベンチャー〞風雲録
日本中が大阪万博に湧いた1970年。ボウリングも大ブーム。事業展開の好機と捉えた橋本健司氏は、パーク商事を創業。秋川市上代継(現あきる野市)でボウリング場経営を手はじめにパチンコにも進出する。
「これが父のベンチャー経営者としての歩みのはじまり。とはいえ、数年するとブームも去り、ボウリング場を見切り、75年にパークショッピングセンター秋川店に衣替え。以後、毎年のように出店を進め、2000年には14店舗にまで拡大している」
現在、健司氏は会長職に退き、社長を継いだ三女のゆかりさんは、会社の草創期をこう語る。健司氏は地元の養蚕農家に生まれ、青梅農林高校を卒業後は家業に従事。だが、持ち前の起業家精神を発揮し、農業法人を立ち上げ、養〝秋川ベンチャー〞風雲録鶏場の代表理事に就いたりもした。 「秋川店のオープンは、私が小学校6年のとき。だから、ずっと〝スーパーの娘〞という意識で過ごしていた。専門学校に学び、栄養士の道も考えたが、父と話し合いパーク商事に入社。88年の不動産部設立を受けて宅建の免許も取った」
焼肉レストランなど経営の多角化が図られるなか、父の商談の現場にも頻繁に同席した。そこでの経験が家業を継いだゆかりさんの財産になっている。驚いたのは、年配で社会的地位も高い人たちが若輩の自分と対等に接してくれたこと。父が培った人間関係の確かさを実感した。 「会社を受け継ぐというのは、そうした関係者も含めて、社員や顧客の信頼を維持し、広げていくということ。いわば会長のめざした人を大切にする経営。それは理念というより父の強い思いかもしれない」
社長に就任して7年目。バブル崩壊後の不況期には店のスクラップ&ビルドを繰り返したあとの世代交代だったが、1年半前には50周年の佳節を迎えている。それは同社が地域社会に貢献してきた証でもある。
【岡村繁雄】
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