森田喜久さん 歌謡教室55周年記念発表会
渾身のステージ10曲披露
あきる野市伊奈の森田歌謡教室55周年記念発表会が9月18日、福生市民会館であった。主宰の森田喜久さん(79)と歌仲間135人が出演。満席のホールで自慢ののどを披露した。
森田さんは5年前、プロ歌手を勧められたこともある歌人生の集大成としてカラオケ教室50周年祝賀会をフォレスト・イン昭和館で盛大に開いた。これからは気楽に歌を楽しみたいと思っていた矢先、コロナ禍ですべての活動が止まってしまった。
残念な思いで3年ほどを過ごしたが、5月に新型コロナウイルスの扱いが5類相当に移行すると、歌の交流が活発になった。仲間や生徒に55周年の記念発表会を強く勧められ、開催となった。
森田さんは24歳の時、父親が経営するモリタビニールを継いだ。歌が好きでうまかった森田さんに従業員が「歌を教えて欲しい」と言い出した。教室を始めるきっけになった。
8トラ、ジュークボックス時代から
当時はGSがブームとなり、黛ジュンが「天使の誘惑」でレコード大賞に輝くなど歌謡曲全盛の時代。青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」、美川憲一の「釧路の夜」などがヒットした。
音楽を楽しむ機器も8トラ、ジュークボックスが始まった頃。その後、カセット、レーザーディスク、通信カラオケと曲出しが簡単にできる機器の発展に比例してカラオケも爆発的に流行した。
昭和50年代〜60年代、森田さんは各地で開かれるカラオケ大会に出場。様々な賞を獲った。忘れられない大会が第1回東京多摩学院カラオケ大会での優勝。予選に全国から700人が参加。32人が決勝に進んだ。
参加者の規模もさることながら審査員が凄かった。市川昭介、吉岡治、たかたかし、弦哲也、徳久広司、宮下健二の6氏。いずれも当代売れっ子の作詞、作曲家だった。プロの道を進める声も幾度かあったそうだ。カラオケ会は、めおと会、のぞみ会、ドリームファミリア会などで会長を務め、今も続く会もある。
当日は森田さんの「ありがとう」「月物語」で幕開け。参加者の歌唱の間に森田さんのコーナーを設け、計10曲を披露。「無法松の一生〜度胸千両入り」では京花流家元の千策さんの見事な踊りが花を添えた。
森田さんは「大きな発表会を開催出来、感謝に堪えない。長い道のりをよく頑張ってきたと思う。今後も声の続く限り歌いたい」と話した。