武蔵五日市駅から秋川街道を北上。小机坂と呼ばれる坂道を上ること数分(駅から徒歩10分程)。小机バス停脇の石垣の上に小机家がある。敷地の中には、明治初期に作られた洋風の建物があり、都の有形文化財に指定されている。現在、この建物の中で喫茶室が開かれ、建物内部も一部公開している。お客さんが来て、お茶を出すことが何度かあり、「折角なら喫茶室としてみよう」というのがオープンの切っ掛けとか。喫茶室部分は都指定有形文化財から外されている。
営業日:金、土、日、月、祝日
営業時間:11:00~17:30
メニュー:コーヒー、リンゴジュース、自家製ケーキ各500円。紅茶(ポット)600円。抹茶茶(和菓子付)700円
住所:あきる野市三内490
電話:042-596-0068/4158。
======= 五日市の近代化に大きな貢献をした小机家 =========
小机家は、江戸後期に山林業で財を成した。明治初期、第7代当主小机三左衛門が商取引で文明開化の銀座煉瓦街を訪れた。そこで見た洋風建築に触発され、洋風列柱廊やバルコニー付き建物を作ったと言われる。木造2階建て、土蔵造り、波型亜鉛引鉄板葺き屋根。内部は和風を基調とし、文明開化の秀逸な和様折衷建築様式を今に伝えている。
小机家は五日市近代化の歴史にも登場する。明治~大正期の当主小机三造は、町長の岸忠左衛門とコンビを組み、五日市に電気を引き、水力発電所を作り、五日市鉄道を敷設した。住民説得や、資金面で鉄道実現のキーであった大久野村(現日の出町)への浅野セメント誘致に心血を注いだ。が、誘致決定後程なく、鉄道完成を見ず自宅玄関で倒れ他界した。営業が開始された大正14年の前年である。大正12年の関東大震災の影響も受け、鉄道建設推進は困難を極めたという。
五日市鉄道は赤字経営が続いたが、小机家は引き続き財政面でこれを支えた。小机家には三造が残した克明な日記が残されており、五日市近代化の歴史をたどる貴重な文献とされている。