青梅市出身の名レスラー ストロング小林展
親交重ねた持田一博さん 3回忌を前に企画
12月15日~ 西友河辺店 ボッパルトホールで開催
2021年月に81歳で亡くなった青梅市出身の名レスラー、ストロング小林(本名・小林省三)さんの功績をしのぶ「ストロング小林展」(実行委員会・090-1604-6777)が12月15日~19日まで地元の西友河辺店ボッパルトホールで開催される。3回忌を前に同展実行委員会が企画した。プロレス美術館(京都府)が協力する。
展示内容は、約80点の写真、試合で着用したガウン、タイツ、米国でのブルーノ・サンマルチノ戦などを含む国内外での複数のパンフレット、ポスター、等身大のパネルなど。会場ではストロング小林対アントニオ猪木戦のVTRの放映を予定する。
同展実行委員長の持田一博さん(59)は青梅市柚木在住で、プロレスファン歴50年。小林さんが青梅市に住んでいることを知り、中学1年の時に知人の紹介で面会。亡くなるまで公私ともに親交を重ねてきた。
「ボディビルで鍛えた体は多くの外人レスラーを凌駕し、怪力殺法でファンを楽しませてくれた。リングを降りればそれは優しい良心的な人だった」と小林さんの魅力を語る。
同展の開催に関しては、小林さんの遺族が全面協力してくれたほか、元新日本プロレス営業部長の新間寿さん、プロレス美術館の湯沢利彦さんの支援が大きかったという。
持田さんは「多くの方々、なかでも青梅の方に見てもらい『こんなすごい人が自分たちの町にいたのだ』ということを誇りに思ってもらえたらうれしい」と話す。
時間は10時〜18時。最終日は17時。
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小林さんは、1940年に東京・本郷で生まれ。戦争で青梅市に疎開し、同市で育った。高校卒業後に国鉄(現在のJRグループ)に入社し、南武線の稲城長沼駅へ勤務した。当時から職場では怪力の噂が広がった。25歳の時にボディビル会場で国際プロレスの吉原功社長にスカウトされ入門。67年に日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューした。
その後、素顔となりリングネームを「ストロング小林」に改名。欧州、米国のマットを転戦し、実績を残した。凱旋後は国際プロレスのエースとして活躍。71年にはIWA世界王座を奪取した。
74年3月、蔵前国技館でアントニオ猪木戦に臨んだ。75年には新日本プロレスに入団し、坂口征二とのタッグで北米タッグ王座を獲得するなどトップレスラーとして新日本のリングに立ち続けたが、81年から腰痛を悪化させ長期欠場に入り、84年に福生市体育館で現役を引退した。