「江戸東京野菜」で東京農業を元気に
JA東京中央会が52種を登録
東京で栽培されている伝統野菜を「江戸東京野菜」という。都民に広く提供できるようJA東京中央会(野﨑啓太郎会長)が2011年にこの呼称を使用していくことを定めた。
「江戸東京野菜」は江戸時代から昭和40年ごろまでの間に都内の農地で栽培されていた固定種か、現在もその当時の栽培法により作られている野菜を指す。JAや東京都職員、農業者など11人の委員で構成した江戸東京野菜推進委員会はこれまで、52種類を認定している。JAの直売所などで購入が可能だ。
「江戸東京野菜」は昔ながらの品種のため、病気に弱いなどの問題があり安定生産が難しいとされてきた。替わって手軽に大量生産できる野菜に押されたほか、都内の農地が減少したこともあり、生産の維持が危惧されたこともあった。
それでも地域の歴史を伝える存在として注目され、同中央会が設置した江戸東京野菜推進委員会をはじめ、江戸東京・伝統野菜研究会、NPO法人江戸東京野菜コンシェルジュ協会、生産者らの努力で「江戸東京野菜」は徐々に息を吹き返し、認知され普及し始めている。中には地域の活性化に繋がっているものもある。
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西多摩地域でも「江戸東京野菜」が栽培されている。代表はのらぼう菜。
あきる野市小中野の子こやす生神社には「野良坊菜之碑」がある。3月には「小中野のらぼうまつり」が開催される。境内に「のらぼう菜」の市が立ち、発祥地の味を求めて多くの人でにぎわう。
五日市地区のらぼう菜生産者で組織するJAあきがわ五日市ファーマーズセンター「のらぼう部会」は五日市地区の学校給食での「食農教育」活動やイベントへの提供なども行っている。
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奥多摩町に100年以上前から伝わる昔ながらのジャガイモがある。その名は「治助イモ」。奥多摩でも忘れかけられた作物だったが、町は20年ほど前から地域の活性化や耕作放棄地対策に役立てようとブランド化に取り組んでいる。明治時代に奥多摩に住んでいた治助さんが、隣の檜原村から種芋を持ち帰ったのが、その名前の由来だという。
その檜原村では「おいねのつる芋」と呼ばれている。昔、檜原村に嫁いで来たおいねさんが隣の山梨都留(つる)地方から持って来た芋を植え、育てたことから名前が付いたそうだ。
関東一円で知られるのが奥多摩ワサビ。多摩川の清流と冷涼な気候に恵まれた奥多摩では、文化文政の頃には盛んにワサビ栽培が行われていた。文政6年(1823)の「武蔵名勝図会海沢村の条」には「山わさび葵この地の名産なり。多く作りて江戸神田へ出す」とあり、寿司のネタと酢飯の間にワサビを付けた江戸前の握り寿司が考案された頃と、時代は重なるという。
奥多摩ワサビは山中の沢で栽培される水ワサビで、寒暖差が大きいため、辛みが強いのが特徴。江戸時代には将軍家に献上されていた。
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野﨑会長は「JA東京中央会として江戸東京野菜のブランド化に引き続き力を入れ、生産と流通をしっかり後押ししたい」と期待を寄せている。