4月28日 中里介山没後80年のイベント開催 羽村市観光協会
羽村市観光協会(羽村市羽東、042‐555‐9667)は4月28日、同市出身の小説家、中里介山没後80年のイベント「中里介山ゆかりの地を歩く」と映画「大菩薩峠第1編 甲源一刀流の巻き」上映会を開催する。
「中里介山ゆかりの地を歩く」
映画「大菩薩峠第1編 甲源一刀流の巻き」上映会
介山は若い頃は社会主義に傾倒し、日露戦争下には「平民新聞」に反戦詩を発表した。1906(明治39)年、都新聞社に入社。文筆の才を発揮し、「氷の花」「島原城」などの連載小説を手がけ、代表作「大菩薩峠」は後の大衆文学に大きな影響を与え、映画にもなった。
イベントは命日に合わせ開催。「中里介山ゆかりの地を歩く」では、介山の墓で介山忌法要を行うほか、菩提寺の禅林寺、介山旧宅跡、生誕地などを訪ねる。8時50分に羽村駅に集合。12時20分ごろ、同市郷土博物館で解散する。参加費は500円で、定員は15人。
映画「大菩薩峠第1編 甲源一刀流の巻き」は1935(昭和10)年に初めて映画化された作品。机龍之助を大河内伝次郎が演じる名画を鑑賞する。プリモホールゆとろぎ小ホール(同市緑が丘1)で18時30分、上映開始。入場無料。定員は先着100人。
このほか、同市図書館や同市郷土博物館でも「中里介山を知る」と題した特別展示を企画している。
西隣村塾で介山の日本史授業を受ける「先生は道を歩いていても小説を構想」
今では生前の中里介山を知る人は数少ない。その一人が羽村市羽中の羽村元一さん(97)だ。大正15では介山から日本史を学んだ。授業はごく当たり前だったが、記憶に強く残っているのが、道を歩いていても(1925)年生まれで、昭和16年に高等小学校を卒業すると軍需工場に勤めた。
介山が開いた西隣村塾に通った。そこ小説の構想を練っていただろうと思われた姿だ。
「きっと『大菩薩峠』のことを考えていたのでしょう。道で行き交う時はじゃまをしてはいけないと、よけて隠れたものです」と振り返る。
羽村さんは特攻隊に志願。陸軍航空隊に配属され、熊谷、桶川など飛行学校で飛行士としての訓練を受けた。「国のために真っ直ぐに前を向いていた」と羽村さん。
戦後は家業の農業を営み、生きてきた。「中里先生の授業を受けた人のほとんどが亡くなってしまった。その先生が亡くなって80年、感慨深いものがあります」と目を閉じた。
羽村元一さん(97) 羽村市羽中