檜原街道を外れ、黒茶屋の前を通る檜原街道の旧道(路線バスは今もこの道を回る。)を進
むと、道の両脇に水汲み場が点々と現れる。蛇口が複数付いているものが多い。西方の戸倉
城山の伏流水で、今も地元の人に大切に使われている。旧道から山麓にかけて点在し、旧道
脇だけでも数か所ある。
この旧道沿いにある野崎酒造(喜正で知られる)は、この水を利用している。 『喜正の仕込み
水は、蔵正面の戸倉城山より湧く、伏流水を使用しています。この水は古くから戸倉の人々の
生活水として用いられ、現在でも大切に維持管理されています。水質はやや軟水で酒の品質
を劣化させる「鉄」「マンガン」が非常に少なく、酒造りに大変適した水です。この水は喜正の
「宝」です』と野崎酒造は紹介している。
戸倉城山は標高434mと高い山ではないが、円錐形の美しい山で、その名のとおり、かつて、
山城が築かれていた。この檜原街道の旧道はバス通りとは言え、車はあまり通らず、静かな道
である。
この旧道から少し上ったところに桜で有名な光厳寺がある。臨済宗建長寺派のお寺。足利尊
氏の創建。後光厳天皇ゆかりの寺であることが光厳寺の名前の由来。後光厳天皇は親王時代
に、南朝に追われ当地に逃れ、5年程忍び住んだ。
寺の門前にあるヤマザクラは樹齢400年を超える巨木で、都の天然記念物。都の3大桜巨
木の一つでもある。この巨木を始め、周辺は桜の木が多く、あきる野市で最も知られた桜の名
所のひとつである。
境内に「ところ芋」の石碑がある。天保年間のもの。この碑は天保の飢饉に際し、山野に自生
するところ芋を掘りに来た他村の人々を追い払おうとした村人の行為を抑え、自然の恵みだか
らとして、掘るにまかせた名主の徳を讃えたものである。碑文には福生、拝島、熊川といった地
名が既に見える。里山の風景と合わせて、訪れた人の心を暖める話である。