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レポート:旧三井拝島別邸と石川酒造の蔵見学【街プレ倶楽部 街歩き心の風景】

お出かけ

西多摩の自然と歴史を巡る旅「旧三井拝島別邸と石川酒造の蔵見学」は、7月23日と25日、合わせて61名の参加者で開催された。両日とも猛暑のさ中であったが、二つの歴史的建造物の見学と、この地の治水・水利の歴史を残す多摩川土手の移動を楽しんだ。
旧三井拝島別邸では、参加者が口々に、「こんなすごいものがここに有ったのか!」と感嘆の声を漏らしていた。「何故ここにこんなものが?」という疑問が、ご案内頂いた啓明学園の斉藤先生の大変に判り易い説明を聞くうちに、啓明学園の場所の歴史理解とともに、徐々に解けて行ったようだった。
石川酒造では橋本さまに、ユーモアにあふれたご案内を頂いた。土蔵の中の温度は20度程度。この涼しさに炎天下を移動してきた参加者は生気を取り戻した。これは、自然空調。すなわち土蔵造りが熱を遮断するため、外気の温度に拘わらず、土蔵の中は常に一定温度とのこと。見学終了後は楽しい試飲。その後は、明治時代の建物の中で昼食を楽しんだ。酒造の中のお店であり、ビールやお酒を楽しみ、すっかり話が弾んだメンバーもいて、楽しい歓談の中、一日を締めくくることができた。
なお、今回は特に参加希望者が多く、即日満員となった。参加者枠を増やす調整をしたものの、多くの方のご希望に添えることが出来きませんでした。同様な企画を再度計画する予定ですので、その節にご参加を。

旧三井拝島別邸外観

旧三井拝島別邸2F

旧三井拝島別邸2F

石川酒造(本蔵)

旧三井拝島別邸&石川酒造

街プレ倶楽部 西多摩の自然と歴史を巡る旅「旧三井拝島別邸と石川酒造の蔵見学」

今も現役、明治期日本建築の粋!その中を見学

石川酒造

白壁が美しい歴史的建造物が並ぶ。多くは国登録有形文化財。

150年の歴史を持つ酒造

江戸時代、石川家は近隣の共同社会の長であり、幕府直轄領熊川村の名主。地域のリーダーとして、将軍家への鮎の献上、朝鮮通信使の饗応役を勤めた。

江戸後期には、青梅成木産出の石灰や、青梅縞などを使う在郷商人の性格を強くし、幕末に近い文久3年(1863年)に酒造業を始めた。

敷地内の多くの建物は国登録有形文化財で、江戸から明治期のもの。

 

歴史的建造物内の和食・蕎麦処

江戸時代創業の日本酒に加え、明治21年にはビールの醸造を開始。日本酒とビールの醸造、それに食事処がそろってる酒造は全国的にも珍しい存在。雑蔵は蕎麦処として知られており、お昼時には蕎麦を目指して訪れる人も多い。この日本らしい風景は海外の方にも人気で、パーティーを楽しむ横田基地関係グループの姿も時々見かける。

 

啓明学園北泉寮(旧三井拝島別邸)

大名屋敷の伝統を継承した明治期。和洋折衷建築の粋。都指定有形文化財。

 

元は永田町にあった鍋島侯爵の邸宅

北泉寮は鍋島直大侯爵の邸宅として明治25年頃、現在の千代田区永田町の旧首相官邸のところに建てられた和館が原型。

洋館とセットの和・洋並置式邸宅として建築されたなか、関東大震災で和館のみ残り、その後、三井八郎右衛門高棟が買受け、昭和2年に三井家別荘としてこの地に

移築された。この際大幅な増改築がなされた模様。学園の授業などで使用されている。都指定有形文化財。

 

書院造が認められる和室。折衷様式の洋式

啓明学園は高棟の三男三井高維により帰国子女教育のため、赤坂台の自邸を開放し創設された。空襲により焼失したため、

拝島別邸で開校された。北泉寮の名称は、三井北家、夫人の母方実家(住友家)の屋号泉屋に由来。

北泉寮は江戸時代の大名屋敷の伝統を継承する2階建ての邸宅。書院造の流れがみられる座敷や近代洋風のでっざ人が施された客室など和洋折衷の趣のある建物となっている。

 

 

 

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