新着記事

街の探検隊:旧鎌倉鶴岡八幡宮寺の仏像があきる野市に!新開院薬師堂の薬師三尊像と十二神将像(あきる野市)【街プレ 街歩き 心の風景】

JR五日市線東秋留駅のすぐ南にある寺が臨済宗「普門寺」である。普門寺と道を挟んでひっそりとした「新開院薬師堂」がある。この敷地に入った人はあまり多くはないかと思われる。薬師堂は小窓から中の様子を窺うことができ、目を疑うような光景がそこにある。中央に金色の薬師如来坐像、その両脇にこれも金色の日光・月光菩薩立像、それらを囲むように配置された色彩かな十二神将像。フルセットの薬師三尊像とその守護神達だ。それも、心に迫って来る素晴らしさ。
あきる野市のウェブサイトには、新開院は「長禄元(1457)年の創立と伝えられ、本尊は大日如来。飛地境外に薬師堂があり、明治初年神仏分離令の際に鎌倉の鶴岡八幡宮から遷座した、薬師如来・日光・月光菩薩及び十二神将を安置している。」とある。
現在では忘れ去られた感があるが、鎌倉の鶴岡八幡宮は、明治以前は現在の数倍の規模があり、多くの堂宇や僧坊のある神仏混淆(こんこう)の「鶴岡八幡宮寺」であった。明治新政府の「神仏分離令」に従い、大塔、薬師堂、護摩堂、経堂、仁王門などが壊され、多くの仏像などが持ち出されたり散逸したという。この鶴岡八幡宮寺薬師堂にあった仏像群が今はあきる野市に安置されている、ということのようだ。
建立時期などは未詳のようだが(*)、同様な運命にさらされた仏像で、五島美術館所蔵「愛染明王像」(一時、上述の薬師三尊像及び十二神将像と一緒に新開院に納められた)、鎌倉青蓮寺所蔵「弘法大師坐像」、鎌倉寿福寺所蔵「銅造薬師如来坐像」などは、鎌倉時代の作とされ国の重要文化財に指定されていることから、新開院のこれらの仏像も優れた文化財なのかも知れない。
(*)「日本の美術No.537、東国の鎌倉時代彫刻」(ぎょうせい)には鎌倉時代の運慶派仏師の作ではないか、と記されている。

新開院薬師堂

薬師堂内部

Copyright© 街プレ -東京・西多摩の地域情報サイト- , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.