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川合玉堂も愛した白丸の地(奥多摩町)【街プレ倶楽部 街歩き 心の風景】

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JR奥多摩駅のひとつ手前のJR白丸駅。駅は数馬峡谷に臨む山あい斜面の中腹にある。白丸は、駅北西の上方に広がる静かな山里だ。美しい石畳の小径が魅力。神社、寺の前を通る石畳の道は、元禄年間に「数馬の切通し」が出来る前の「根岩(ねえや)越え」と呼ばれた、旧青梅街道(甲州裏街道)最大の難所に向かう道であった。
白丸は川合玉堂が疎開のため、御岳からこの地に移り、村長宅に寄宿して終戦を迎えた場所。土地のご老人が、戦時中の大変なころ、超然と袴姿で周辺を散策し、絵を描いていた姿をよく見掛けた、と語ってくれた。神社境内には、戦時下に行われた獅子舞の様子を歌った歌碑が立てられている。この村長の家は江戸時代には名主を勤め、この地を中心に広い範囲の木材伐出に元締めとして活躍した。また、この家にはこの地域の歴史を知るために貴重な大量の文書が残されている。
数馬の切通しは、元禄年間に開削され、宝暦、嘉永年間に改修された。岩盤に火を焚き、水をかけ、ツルハシと石ノミで切り開いたと伝わる。この切通しにより、人の往来が容易になったのは勿論、馬の通行が初めて可能になった。それまで、主な交通相手は、小河内・多摩川南岸住民は五日市、氷川・日原住民は秩父、であったといわれる。切通し開削により、青梅方面との交通が盛んとなり、甲州裏街道と呼ばれるように、甲州との交通に旧青梅街道が多く利用されるようになった。現在の多摩川に沿った道が開通したのは、近くに「数馬隧道」が掘られた大正12年である。「白丸トンネル」が昭和48年に造られ、数馬隧道の道は現在遊歩道となっている。

白丸散策コース

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