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コラム

父の背中 先代の仕事と教え

4月1日、JA西東京が合併20周年を迎えた。

2001年、JAかすみとJA青梅を一本化した立役者が初代組合長になった野崎省吾氏である。40歳を目前に醤油製造から農協に転身。農家の生活向上と地域発展に尽くした。

 「父は大正14年生まれ。青梅農林に学び赤紙で出征。戦後は祖父と一緒に家業を盛り立てた。しかし、大手醤油メーカーの影響で、昭和30年代後半に廃業。41歳のとき、自ら志願して当時の霞農協の理事に就いている」

こう回想する野崎啓太郎現JA西東京組合長には、忘れられない父親の言葉がある。

曰く「俺がやってきたことで一番良かったのは商売をやめたこと」だと。確かに〝見切り千両〞という。その決断が省吾氏の新たなビジネス人生につながったといっていい。

「時代は、高度経済成長期の真っただ中、農家も新たな努力が求められた。ここで、醸造業で培った父の経営センスが生きたと思う。1年後、組合長の就任挨拶で『協同組合も株式会社の発想が必要だ』と強調したと聞く」

組合長になって推し進めたひとつが農家のアパート経営。米や野菜を売るだけでなく、所有している土地を活用して不労所得を得る。そのために積極的に融資を行い、家賃収入は貯金に回してもらう。文字どおり共存共栄にほかならない。

「後年、ある若い医師の情熱を信じ、青梅慶友病院の開業を支援した。土地の提供、資金借り入れの保証人を引き受け、いまや病院は高齢者介護、療養の最前線を担っている。息子の私から見ても豪快で決断のできるトップだった」

親分肌の生き方は、5歳で父親を失い、比較的早くに社会に出て、荒波にもまれた結果かもしれない。本店の会議室には、旅館で将棋盤を囲む浴衣姿の男性3人の絵がある。祖父と弟の脇に寝そべっているのが省吾氏。精せいかん悍なまなざしは、絵のなかからJA西東京をじっと見守っているかのようだ。

【岡村繁雄】

コラム執筆者

編集室システムU

西多摩地域を中心とした東京25区管内の政治、行政、経済社会、トピックスなどを配信する「東京25ジャーナル」の編集室。
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