春の山菜、秋冬のキノコ
黒茶屋 知識尚志総料理長
素晴らしい環境も全てご馳走
黒茶屋の魅力と献立のお勧めは。
知識 6月よりコース料理の食事ではよもぎうどんを再開しました。夏は特製のごまだれを用意しました。コショウを効かせた夏野菜の酢物、また何と言ってもアユの塩焼きがおいしい季節ですね。美しい自然が感じられ限で営業が制限され、思うように腕を振るえなかった2年間だったが、どんな思いで過ごしたか。
知識 時間ができた時にいろんな料理を考え、自信作が生まれ、食べていただきたいと思った矢先、断続的に行動制限が掛かり、食べていただけなかったことが本当に残念でした。それでもコロナ禍でテイクアウトや、そ
の商品を敷地内で食べていただくなど新しい提供の形が生まれたことは良かったです。
テイクアウト商品を扱いうようになり、どんな工夫を凝らしたか。
知識 黒茶屋グループの味をお弁当に詰め時にいろんな料理を考え、自信作が生まれ、食べていただきたいと思った矢先、断続的に行動制限が掛かり、食べていただけなかったことが本当に残念でした。それでもコロナ禍でテイクアウトや、その商品を敷地内で食べていただくなど新しい提供の形が生まれたことは良かったです。 テイクアウト商品を扱いうようになり、どんな工夫を凝らしたか。 知識 黒茶屋グループの味をお弁当に詰め込んで喜んで食べていただく、それだけを考え作りました。最初は原価割れでした。高水謙二社長から「パンで何かできないか」と言われ、京都で見かけ、頭にあった、だし巻き玉子サンドが生まれました。多くの皆さんに喜んでいただいています。 食の秋を迎える。秋川渓谷も紅葉の美しい時季になる。 知識 春の山菜、秋冬のキノコが黒茶屋の看板メニューです。周りの素晴らしい環境も全てご馳走です。
総料理長は「婦人画報」などのおせち宅配で毎年人気ナンバーワンを博した。おせちを含めテイクアウト商品の今後は。 知識 テイクアウトは引き続き継続していきます。ただ、おせちは数に限りがあり、即完売となるので、見合わせることになりました。 黒茶屋ファンの皆さんに一言。
知識 素朴ですが、家庭では出せない味をこれからも作ってまいります。是非いらしてください。また、ご要望があればお声をお寄せください。可能な限り対応してまいります。
ありがとうございました。
■知識尚志総料理長=なだ万本店に入職。そこで調理長だった田中博敏氏に師事。20年前、黒茶屋の総料理長となっていた田中氏に誘われ、黒茶屋グループに入社。長く井中居の料理長を務め、4月から現職。52歳。
父の背中
仏門の師、義父とともに
寺社の多い青梅でも曹洞宗天寧寺の七堂伽藍の立派さは屈指といっていい。なかでも山門は江戸宝暦年間の建立とされ、寺の歴史を象徴している。境内は都の史跡に指定されているが、それは34世宏道和尚の代にはじめられた大事業、昭和大改修の成果だ。
「先々代の宏道和尚は石川県能登の生まれ。幼くして永平寺で修行中、縁あってここ根ヶ布に草鞋を脱いだ。本山の役僧も務めた傑僧で、昭和35年(1960)に他界しているが、改修は祖父である武彦和尚が志を継ぎ、23年かけて完成した」
こう話すのは、同寺の沖祐昭副住職。義父に当たる高木昭彦住職と寺を切り盛りしている。祐昭氏は北海道釧路市の出身。青山学院大学を卒業後、セガ・エンタープライゼス(現セガサミーホールディングス)に就職、生まれ故郷に戻って営業に従事していた。
「そのころ、昭彦和尚の娘さんとの学生時代からの交際を実らせようと結婚の許しを得に寺を訪ねた。和尚から『仏門に入れ』といわれ、一旦は断りつつも何とか入籍。子どもができると、孫の顔を見がてら説得に来る」
当時、友人とコンピュータの会社を起業していた祐昭氏だったが、さすがに3度目には折れ、30歳のときに出家を受け入れた。そして2年間、妻子を青梅に残し永平寺で年若い雲水に交じって修行の日々を過ごす。
「禅には脚下照顧という言葉がある。修行中は足元をしっかり見据え、心を落ち着けて行動するように心がけた。出家すれば義父と私は師弟になる。坐禅や読経、法事をこなしながらの研鑽は、やがてその背中を乗り越えるためのもの……」
宗門での役割もあり外出しがちだった祖父の留守を預かっていた昭彦和尚は地元の人を大切にしてきた。祐昭氏もそんな義父に強く共感。西多摩弁の「のめこい」、つまり滑らかなつきあいをしたいという。 【岡村繁雄】