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東京の奥座敷に黒茶屋あり

政治・経済の東京、歴史・文化の京都。いずれも世界に誇るべき日本を代表する魅力あふれる国際都市で、世界各国から観光客が訪れる。大都市でありながら四季折々の表情を見せる自然もある。東京は御岳渓谷、御岳山、奥多摩、秋川渓谷、高尾山。京都は鞍馬、貴船、大原、さらに奥に花はなせ脊。正に東京と京都の奥座敷。中でも花脊には〝おもてなし〟の料理旅館美山荘がある。同じように五日市には〝究極のおもてなし〟を追い求める黒茶屋がある。

おもてなし その原点と展開
今年新たな挑戦も

京都 美山荘のこと

美山荘は摘草料理を謳う。山菜や野草、コイやマスなどを使い、肉料理は出さない。洗練された料理法と出し方が一流の域を超えていると評価される。そしてミシュランのサービスアワードを受賞した女将の中東佐知子さんの〝おもてなし〞の心があふれる旅館。それは贅沢な時間が過ごせるという。多くの人に愛される旅館は、NHKテレビでその営みが季節を追い3回に渡り紹介された。

記者はこの放送を見て、美山荘とあきる野市小中野の黒茶屋を重ね合わせた。黒茶屋のロゴなどをデザインした同市乙津の高橋敏彦さんから、昔のことだが、黒茶屋の高水謙二社長に美山荘のことを話したこと、それを聞いた勉強熱心な高水社長がすぐに美山荘を訪ねていたことを知った。

「50年余り前、元々は製糸工場として使われていた建物を利用し、母と兄と私で小さな旅館を始めた。食材も、川に行き魚を獲り、山に入って山菜を集め、炭火焼や山里料理を提供した。ただ、10年ほど過ぎた頃、このままでいいのかな、人生これで終わってしまうのかと悩んだ。そんな折、美山荘の話を聞いた」と高水社長は当時を振り返る。美山荘をすぐに訪ねることになるが、その時のことは鮮明に覚えているという。

「知る人ぞ知る旅館だった。午後6時半に京都駅を出て、レンタカーで2時間かけて着いた。途中、人家が消えると、暗く不安になるような道で、こんなところに旅館があるのかと思った。看板もないなあと思っていると、小さく美山荘という案内が見えた。灯る光の中から作務衣姿の2人の女性が出迎えてくれた」

カルチャーショックを受ける

第一印象は山奥だが、何とも品がよいというものだったそうだ。

「車から降りると、『東京からお越しの高水様ですね』と迎えられた。予約の際に名前を告げただけだったが、電話番号で調べ、東京から来た労をねぎらってくれたのだろう。お風呂をいただくと、もう10時。それから11時過ぎまで丁寧に料理を出してくれた。宿や働き手の都合ではなく、お客様の都合を中心に考えてくれる。サービス業として当たり前のことだが、中々できないことをさりげなく行っていた」

高水社長はカルチャーショックを受け、この顧客中心の考えは黒茶屋の原点になっているという。

「テレビもない。周囲には一杯飲み屋もない。この何もない弱点を強みにしてお客に楽しんでもらうことに苦心していると感じた。朝ごはんもおいしかった。11時までゆっくりでき、お見送りはかなり長い道なのに見えなくなるまで立っていた。部屋に活けられた花は近くで採ってきたもの。料理の素材も地元で採れたもの。表の景色も美しかった。お金をかけたものではないが、全てが贅沢に感じた。今でいう正に地産地消だった。こんな素晴らしいおもてなしの店をやりたいと思った」

高水社長は何かに迷ったとき、美山荘ならどう判断するかを1つの物差しにしてきた。

おもてなしは想像力 新たな挑戦

「ぎりぎりのところでお客の都合にあった判断ができるかが勝負だと思っている。オーダーストップ直後の注文、早くご来店されたお客様への対応。いずれも美山荘の対応が答えだ。おもてなしは想像力。私が東京駅へ行き、新幹線に乗って、京都駅から車で訪れた。その道程に思いを馳せたとき、ああしたおもてなしの形になったのでしょう」

高水社長は今年、黒茶屋グループの飛躍を期し、異業態となる1つのプロジェクトを進めている。

「世界で認められるものをやりたい。奈良、京都とは違った日本を感じてもらい、思い出に刻まれる体験、サービスを提供したい。私自身がワクワクする空間を創出できたらと願っている」

古民家再生、しつらえにも高い見識をもっている高水社長。世界の東京の奥座敷に、黒茶屋ありと言わしめる新たな挑戦が形になるのが楽しみだ。

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