父の背中-37-
先代の仕事と教え
障害者サポートの半世紀
福祉の世界にあって〝申し子〞と呼ばれる人物がいるとすれば、山下望氏は間違いなく、その1人だろう。青梅市で知的障害者を支援する青梅学園や通所施設のかすみの里を運営する社会福祉法人南風会の常務理事である。
「日本中がはじめての五輪開催に沸いていた1964年、埼玉県浦和市の障害児福祉施設で出会い、山下家の夫婦養子となっていた父の勉と母の則子が青梅学園を設立した。そのとき私は青梅第三小学校の1年生。3年になったころには、父も母も生活の拠点を学園に移した」
父親は朝昼の食事こそ家に戻って囲炉裏を囲んだものの、母親はほぼ住み込み。山下氏は両親の顔が見たくなると学園に行き、児童たちとは兄弟のように過ごした。一緒に遊び回り、廊下の雑巾がけなど共同作業にも加わったという。
「敬虔なクリスチャンだった両親は隣人愛をヒントに『目の前のあなたを大切にします』を理念とし、笑顔、挨拶、清潔をモットーに掲げる。当時、児童の家庭も豊かではなかった。それでも笑みを絶やさない父は〝乞食の王様〞として、貧しい人の味方になりたかったらしい」
こうして過ごした日々が、少年の心に影響をおよぼす。やがて、山下氏は東洋大学社会学部で福祉を専攻し、卒業後は羽村養護学校(現羽村特別支援学校)で教鞭を執った。4年後、さらなる成長を求めて青梅学園に移る。
「ずっと一般職の児童指導員として働き、40歳のときに副施設長になっている。その際、学園は18歳以上が利用する成人の支援施設に転換しており、運営により経営的な視点が必要だと判断したことが大きな理由だった」
2003年に施設長。現在は関東地区知的障害者福祉協会の会長としても奮闘する。公的な立場にあっては、業界レベルでの取り組みを進めた。職員研修などを意欲的に行い、入居や通所の現場における利用者サービスのレベルアップを図っている。