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コラム

マルイフルーツ90 年の歴史に幕
ぬか漬け、続けての声

閉店が近づき夫妻はお互いに感謝し合う日々

青梅市のマルイフルーツ(勝沼3丁目)が5月中に閉店する。橋本春市さん(86)、久枝さん(79夫妻が営む店は、いつも季節の果物が積まれ、先代から続く木樽のぬか漬けが買い物客に喜ばれてきた。

春市さんの父親の伊助さんが有限会社丸伊商店として昭和の初めに創業。母親のシゲさんが側に寄り添い、春市さんも定時制高校に通いながら店を盛り立てた。間もなく久枝さんと所帯を持ち、跡を継いだ。

高度経済成長の波が市内にも及び、街道に商店が軒を並べ「勝沼銀座」と呼ばれた。店名をおしゃれにマルイフルーツに変更。活気のある頃は果物の盛り籠の注文も後を絶たなかった。

バブル経済の崩壊とともに、地方の商店街は地盤沈下。青梅市内も例外ではなく、シャッターが1つ、2つと下りる通りに「勝沼銀座」の面影は消えていった。

それでもマルイフルーツは夫妻の人柄と確かな商売で支持されてきた。春市さんも久枝さんもまだまだ店に立つのが楽しみだった矢先、仕入れ先の東京都青梅青果地方卸売市場(同市藤橋)の閉場が知らされ、残念な思いで店を閉めることを決めた。

閉店聞き、感謝の手紙も

閉店の張り紙を出してからある日、メモ書きの手紙が投函された。

その手紙には、10 年ほど前に青梅に住む当時の彼氏のお見舞い品としてフルーツを買い求めたとき、予算の少ない高校生を相手にとてもよくしてもらったお礼と、その時以来、十数年ぶりに青梅にやってきたその日、常連のお客様に別れのあいさつをしているのを耳にし、閉店を心苦しく思ったことが綴られ、最後はねぎらいの言葉があった。

当時、応対したのは久枝さんのようだったが、その高校生に確かな記憶は ないという。誰にでも隔てなく真心で接してきたから、高校生には特別なことでも、久枝さんには当たり前のことだったからだ。

創業90年。閉店が近づき夫妻はお互いに感謝し合う日々。写真が趣味で、個展を開いたほどの腕前の春市さんは「これからは妻と旅行しながら写真を撮りたい」と笑顔。一方、久枝さんには「ぬか漬けの店は続けて欲しい」という声が届いている。

出会いと別れ、励ましや応援。花とともに果物は人生の様々な場面に添えられ、人々の暮らしの中にある。そんな果物を扱うフルーツショップの仕事は知らずのうちにいろんな人の人生ドラマを演出してきたのかも知れない。

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コラム執筆者

編集室システムU

西多摩地域を中心とした東京25区管内の政治、行政、経済社会、トピックスなどを配信する「東京25ジャーナル」の編集室。
“地域の今”を切り取ります。

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