ユズを収穫、地元の老人ホームに贈る
JA食農教育で青梅西中生徒ら参加
JA西東京は12月16日、青梅市沢井のユズ畑で青梅市立西中学校(同市梅郷)の生徒たちとの作業で、地域特産の「沢井柚子(ゆず)」を収穫した。ユズは地域の特別養護老人ホームなど3施設に贈った。
JA食農教育として毎年実施しているもので、作業には1、2 年生21人が参加。同JA二俣尾支店の清水国比古支店長ら職員9人が手伝った。ユズのトゲに気をつけながら1時間半かけておよそ70キロを収穫した。ユズは聖明園、御岳園、喜久松苑に贈られた。
ユズ畑を提供している小澤酒造の小澤順一郎会長は「ユズは人出不足で手入れが行き届かないが、皆さんの協力でユズを収穫し、待っているお年寄りの方に届けられる」とあいさつ。同JAの森田美実専務は「JA食農教育として取り組み10数年経つ。地元のJAとして少しでも社会貢献していきたい」と話した。
同校の加藤誠副校長は「生徒らにとって青梅を学ぶいい機会になっている。ボランティアの西中を目標に取り組む中、生徒たちは作業に自主的に参加してくれた」とあいさつした。
同JAの池田房雄代表監事から高枝バサミの使い方やトゲの扱いなど注意点を聞き、生徒たちは作業に当たった。
沢井は昔から「ユズの里」として知られ、江戸時代の「新編武蔵風土記稿」でも紹介されている。
平和、幸福 深まる願い縁起物の「豆太鼓」を
手作り日の出町の新井豆太鼓保存会
日の出町大久野の新井地区では今年も縁起物の豆太鼓を作り新年を迎える。10月から新井豆太鼓保存会の会員らが作業場に集まり、132本を全て手作りで仕上げた。福を呼ぶ豆太鼓は大みそかまでに自治会の希望者のほか、公的機関、地元企業などに配布される。
豆太鼓づくりは1929(昭和4)年ごろまで行われていたが戦争で中断。戦後もそのままになっていた。有志の手で新井地区に復活して30年余りになる。
昔ながらの作業には大きな苦労がある。竹を削って柄を作り、ヒゴを編んで風車を作る手の込んだもので、太鼓は和紙を張り、のりを混ぜた赤いポスターカラーで塗装する。作業前には山へしの竹の伐採に出かけ、太鼓枠の紙筒の切断などを行う。
赤い太鼓の表には越沼正好会長が干支の龍の絵を一つひとつ手描きした。えんぴつで下書きし、白いポスターカラーで龍の鱗まで丁寧に仕上げると、手描き時間は30時間を超した。絵を担当して21年目のベテランも大変だった。裏には柁原亜希子さんの書で、平和、幸福、絆、安泰、隆盛など誰もが望む1年の願い事が書かれた。
豆太鼓の柄の長さは40センチほど。太鼓は直径13センチ、厚さ2・5センチで、大豆を両側に垂らし、回すと勢いよく太鼓に当たり〝ポン、ポン〞と軽快な音がする。昔は子どもの遊び道具だったが、「まめに働く」などの意味から商売繁盛を願う縁起物として各地に伝わった。
作業に当たった会員は20人。この10年余りで他界した会員も数人いるが、次の世代も加わっている。
越沼正好会長は「今年は羽の色をより明るくしたり、平和と幸福の字の入ったものを増やした。世界では紛争が続いているが、早く収束し、豆太鼓の願いのように明るい世界、地域社会になってほしい」と話した。