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コラム

檜原城跡 豊臣の北条攻めで落城

檜原城跡は山城の形状をよく残していることから1991(平成3年)に東京都指定史跡になった。

15世紀、当時の鎌倉管領の足利持氏が平山三河入道正泰に命じて築城させたのが始まり。その後、鎌倉幕府が滅び、小田原城を奪った北条氏が関東を掌握。戦国時代、北条氏は武田勢の侵攻を防ぐため、檜原谷を塞ぎ守るため檜原城の備えを固めた。

北条氏は小田原城を本城として支城を置き、各所に出城を設けたが、檜原城もその一つで、「境目の城」として重要視された。

1590(天正18)年、豊臣勢の小田原攻めの際、八王子城などとともに檜原城も落城。城主の平山氏は滅亡した。

甲斐、武蔵の国境に位置する檜原は攻守の要の地。攻める者がいれば、逃げる者もいる。武田氏滅亡の際は信玄の息女、松姫が檜原を通り八王子に逃れたと言われる。一方、八王子城落城の際は城代家老の横地監物が檜原城に逃れ、小田原へ向かおうとしたが、奥多摩で力尽きた歴史がある。

戦乱は人の世の無常をより強く感じさせる。檜原城の登り口となると吉祥寺裏山には登山道沿いに13仏が配置され諸尊を巡礼し功徳が積める。

 

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■猿島渡さん(本名・森下晴男)は檜原松姫研究会に所属。地域の自然や文化、歴史を写真や動画に納めている。地元をテーマに作詞、作曲も手掛ける。代表作に瀬音の湯が舞台の「湯けむりの女」などがある。

コラム執筆者

猿島渡

猿島渡さん(本名・森下晴男)は檜原松姫研究会に所属。地域の自然や文化、歴史を写真や動画に納めている。地元をテーマに作詞、作曲も手掛ける。代表作に瀬音の湯が舞台の「湯けむりの女」などがある。

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