「新町という村」 410年の歴史都指定有形文化財「旧吉野家住宅」

この茅葺き屋根の建物は、青梅市の東部、新町1丁目の青梅街道北側に建つ、都指定の文化財「旧吉野家住宅」です。
農村の建築では最高クラス、六間型の豪華な住宅と言われます。一般的な茅葺き住宅の多くは、田の字型の四間型です。土間に接して台所とデイ(居間)の間、奥に座敷と納戸(なんど)の四つの部屋で構成されていました。
それに対し、吉野家住宅には、身分の高い武士や役人を迎える特別な玄関「式台」を備え、客間からは書院に廊下が通じています。
この土地の開発は、江戸時代初期の慶長年間、関東の武蔵野台地で第1号の新田開発にあたる開拓で、その事業を主導した吉野織部之助は元武士でした。
埼玉県行田市にあった忍城(おしじょう)」の成田氏に仕えた織部之助は落城後、下師岡の親戚吉野家を頼って、多摩郡に居住していました。刀を鍬に持ち替え、青梅街道沿いながら原野のままであった土地に、新しい村を開拓した歴史的な事業でした。青梅市の歴史にとって高く評価されるばかりでなく、武蔵野台地の各地に展開された江戸の新田開発の中で最も早い開拓として、近世史、関東の歴史上の注目点が、ここ新町に存在するのです。
江戸初期、開拓当時の農村の住宅は、現存の建物に比べ、規模も型式も進化前で、ここまでの規模はなかったようです。
スケッチの屋敷は、江戸末期1839(天保10)年の火災で失われた名主住宅に代わり、吉野家の親戚である三ヶ島村の名主・守谷氏から譲り受けて、1855(安政2)年3月に移築された建物です。
目に見える所は、200年足らずの歴史ですが、「新町村」と名付け、青梅宿に対抗するような町を目指し、1616(元和2)年9月開村した「新町村」の歴史は、本年の9月には410年を迎えます。
吉野家から青梅市に寄贈された建物で、広く一般に無料で公開されています。(定休日:月曜日)
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