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レポート: 吉野梅郷とその周辺の自然、歴史めぐり【街プレ 街歩き 心の風景】

お出かけ

西多摩の自然と歴史を巡る旅「吉野梅郷と周辺の自然、歴史めぐり」は、10月22日は雨で中止となり、10月24日のみ34名の参加者で開催された。吉野梅郷はかつて鎌倉街道が縦断した場所。当時の街道の雰囲気を残す竹林が美しい小道を辿り、昔の道標を確認。寺の前を鎌倉街道が通った即清寺では、本堂に上り、寺の名の由来となった畠山重忠の位牌を見せて頂いた。即清寺は三田氏を滅ぼした北条氏照が信仰した寺で、氏照の位牌も納められている。
一方、二俣尾の海禅寺は三田氏の菩提寺。三田氏供養塔と最後の城主三田綱秀の首塚を見学。青梅街道の旧道は海禅寺の前を通っていたといわれ、周辺はかつて桃の里で歌碑もある。今年開業120周年の青梅線は石灰の運搬を主目的に敷線された。二俣尾駅の西方には、北の山から産出された石灰運搬のための引き込み線跡が現在も残っている。
参加者からは、こういうものは一人で来ると見逃す(即清寺の位牌、海禅寺の首塚、人間国宝藤本能道の工房跡など)、吉川英治と村民の心暖まる話を知った(B29墜落事件、吉野村公民館)、梅が無くとも魅力一杯の場所、との声が聞こえた。

即清寺

鎌倉街道

海禅寺 三田綱秀首塚

楽しいランチタイム(おくたま路)

吉野梅郷、二俣尾散策コース

西多摩の自然と歴史を巡る旅 青梅うんちく散歩コラボ企画 吉野梅郷と周辺の自然、歴史めぐり(青梅市)

吉野梅郷は旧鎌倉街道が縦断するところ。多くの歴史・文化遺産を残す土地です。二俣尾は鎌倉から戦国時代にかけて、この地を支配した三田氏ゆかりの地。ふたつの土地の魅力ある自然、歴史、文化を探求します。

 

スタート

「下郷」バス停

 

旧鎌倉街道跡

竹林が美しい旧鎌倉街道の名残を留める道

梅郷の山裾は旧鎌倉街道が通った場所。今もかつての雰囲気が感じられる小道がある。

昔の道標も見付かる。

 

市立梅の公園

眺めの良い広い丘

 

天沢院(てんたくいん)

綺麗に整備された、こじんまりとした寺

戦国時代開創の曹洞宗の寺。本尊は釈迦如来。現在の本堂は大正時代のもの。

天沢院の庭は芝生で美しい。

 

下山八幡神社

平安後期創建の希少な三間社流造りの神社

都内でも極めて珍しい三間社流造(さんげんしゃながれづくり)。現在の建物は江戸中期のもの。

 

即清寺

堂々とした風格の寺。頼朝の命で畠山重忠が伽藍を造営。

平安初期の開創と伝わる真言宗の寺。寺名は当時にある重忠の位牌の法名「勇讃即清大禅定門)に由来する。

本堂山門ともに重量感ある作り。境内にモクレンの大樹がある。

 

大聖院地蔵堂

吉野村の由来が刻まれた地蔵の台石

大聖院本堂は江戸後期の建物。地蔵堂中央の地蔵の台座に、吉野村の由来が刻まれている。

 

ランチは3方に多摩川を臨む景勝地立つ「おくたま路」で。河原に続く散歩道は自然を満喫できる。

住所:青梅市二俣尾2-371

電話:0428-78-9711

 

海禅寺

見事な石垣、美しい三門。三田氏の菩提寺。

三田氏の供養塔、綱秀の墓(首塚)がある。

室町時代開創の曹洞宗の寺。三田氏の保護を受けた菩提寺。

山門は江戸時代のもの。青梅街道脇の総門は安土桃山時代のもの。

境内に3本クスノキの大樹がある。

三田氏供養塔

三田綱秀の首塚

綱秀は辛垣城から岩槻に落ち、そこで自刀した。首塚は、後に家臣が綱秀の首を持ち帰り、ここに葬ったとされる。

 

二俣尾引込線後

青梅線建設の歴史を伝える石灰運搬用の路線跡。

青梅鉄道は石灰運搬を主目的として敷線。二俣尾までは大正9年開業。昭和4年迄はここが終点であった。引込線は昭和39年迄使用された。

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