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街の探検隊ー奥多摩町最古の建物、丹叟院阿弥陀堂【街プレ倶楽部 街歩き心の風景】

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JR青梅線古里駅の北方山すそに丹叟院(たんそういん)という珍しい名の寺がある。この寺の本堂の東に弁柄(べんがら)が塗り込まれた阿弥陀堂がある。このお堂はかつて近くにあった無量山西光寺から移されたもの。西光寺は、この地の旧家である原嶋氏の先祖が開基で、故郷秩父(秩父駅近く)にある寺と同名の寺を建てたものと伝わる。
屋根は宝形造りで、移築時にかつての萱葺きから銅版葺きに変更されたが、他に大きな変更はなかったといわれる。築年は定かではないが、建築様式から室町末期~戦国時代のものと考えられており、奥多摩町では最古で、西多摩地域でも最も古い建造物のひとつ、とされる。天井の梁は鋸(のこぎり)ではなく斧(おの)のようなもので切られ、床板の根太は鉈(なた)で割いて、手斧(ちょうな)で整える製法によっている。
堂内には木造阿弥陀三尊立像と、三尊の両脇に17体ずつ、合計34体の観音像が納められている。全て、お堂と同時期の作製で、観音像群は秩父三十四観音霊場(札所)のものに対応するもの、と考えられている。お堂は年1度、8月8日の縁日に合わせて開帳される。
原嶋氏は武蔵七党のひとつである丹党の流れを汲むと伝わる。戦国時代(明応年間)に武州忍領原島村(現埼玉県熊谷市)から一党とともに来住したのが、原島丹次郎友一・丹三郎友連兄弟で、兄の丹次郎が日原を、弟の丹三郎が丹三郎と小丹波を開拓。次第に奥多摩各所へ勢力を張っていった。江戸時代、奥多摩17村のうち8村の名主は原嶋姓というときもあったといわれる。
丹叟院阿弥陀堂は、奥多摩町開拓の歴史を今に伝える建物といえよう。

丹叟院阿弥陀堂

 

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