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コラム

元万博担当相対菅生理事長

衆院選東京25区 未来選択の重要な選挙 投票所へ

19日公示された衆院選は31日、投開票される。2012年以来、圧勝が続いた自公政権だが、今回は立憲民主、共産を主体にした野党共闘候補との戦いとなった選挙区が多く、与党全体で議席を減らす見込みだ。自公対野党共闘の一騎打ちとなった東京25区も激しい戦いとなっている。

競り合うのは、自民前職で7回目の当選を目指す元万博担当相の井上信治氏(52)と立憲民主新人で元都議、菅生学園理事長の島田幸成氏(53)。かつてない引き締めで自公の組織票を固める井上氏に対し、島田氏は選挙に行って政治を変えようと訴える。

両氏は党の政策に沿い主張を展開。井上氏が憲法改正、「敵基地攻撃能力」の保有に賛成。消費税率は10%を維持すべき。森友学園を巡る公文書改ざん問題はこれ以上、調査や説明は必要ない、原発は当面は必要だが、将来的には廃止すべきなどとする一方、島田氏は憲法改正、「敵基地攻撃能力」の保有に反対。消費税率は下げるべき。森友学園問題はさらに調査や説明をすべき、原発は必要ないなどとしている。

ザ・地元の職人 のり付けなど職人技が決め手

内装全般 富田さん、本橋さん父子

内装全般 富田さん、本橋さん父子

住宅など建設業界は高齢化と、若年層の就労の低さが課題となっている。長期不況の影響もあり、若者から敬遠されがちな施工職人の確保は大きな課題だ。それでも西多摩、昭島にはしっかり人材がいる。父子で、兄弟で、日本の家づくりを担っている。(岡村信良)

建築現場で、天井、壁、床などの内装全般の仕事を手掛けるのが、富田孝之さん( 69 )と富田さんの次男の本橋俊さん(37)。

富田さんが羽村市でインテリア富田、本橋さんが昭島市でエスエーインテリアの看板をそれぞれ掲げ協力関係にある。 富田さんは18歳の頃、就職先で迷っていた時、兄に「カーテン屋をやるか」と声をかけられ、「カーテン屋なら店番で楽だと」と気楽に出かけると、いきなり建設現場に立たされた。以来、半世紀余り内装業の道を歩んできた。

初めの10年間は下積み。親方の「ごまかしはするな」を教訓に、結婚を機に28歳で独立。前向きに取り組む中で、クロス張り、クッションフロア、絨毯、フロアタイル等の仕上げに腕を磨いてきた。

材料は半世紀の間に素材もデザインも大きく進歩した。それでものり付けなど肝心なのは職人業が決め手となる。「正確で早い仕事はやはり真面目にコツコツ取り組み、慣れることが大事」と自分の道を振り返る。

本橋さんは美容師をしていたが、休みの日に富田さんの仕事を手伝うようになり、内装業の面白さを知った。この道11年、富田さんのキャリアに比べれば5分の1だが、ハウスメーカーで仕事した分、下地作りなどで富田さんが一目置く技術を持っている。

「施主に喜んでもらえるよう最善を尽くす」がモットー。美容師の経験を生かし、センスの良いおしゃれな店舗作りなどにも幅を広げている。

父子はそれぞれ「仕事ではいい相棒だな」とポツリ。顔を見合わせて笑った。■「ザ・地元の職人」はシリーズで掲載しています。

父の背中 先代の仕事と教え

政治家二代の信念と実践

前羽村市長 並木心氏

旧制一高から東大法学部、卒業後は商船三井の前身である大阪商船に入社して海外支店に勤務。絵にかいたようなエリート街道を歩んだ並木芳雄氏は戦後、第2回衆議院選挙に出馬し39歳で初当選している。並木心前羽村市長はそんな政治家を父に持つ。

「子ども時分から秀才の誉れが高かった。最高学府に学び、海運業に進むと、マニラとニューヨークに赴任し海外市場に精通。とりわけ米国勤務では本場の民主主義を肌で感じたのだろう。それが国政進出へつながった」

第2回総選挙は1947年、5月には新憲法が施行されたものの、巷には戦火の余燼がくすぶっていた。そんななか芳雄氏は、敗戦国からどう立ち直るか……、古い体質からの脱却を訴え、街頭演説に東奔西走する。

「わが家に残る肖像画の印象は信念の人。公正を掲げた選挙戦では羽村を中心とした西多摩の青年会や婦人会の有志が物不足のなか手弁当で駆け回ってくれたという。以来5期連続当選を果たすが、代議士時代も清貧を貫いたのは、このときの体験が大きい」

在任中は経歴を生かし、衆院外務委員、改進党外交部長などを歴任した。とはいえ、心氏が父親の政治家としての足跡に興味を持つのは初の落選を聞いた中学生のとき。つまり、やがて首長となる心氏も門前の小僧だったわけではない。

「実際、大学では児童福祉を専攻し、東京家庭裁判所の調査官を20年余り務めた。しかし、周囲のすすめもあり91年に羽村町議会議員に初当選。市制後の2001年に行われた市長選で自民党、民主党、公明党の推薦を得て勝利。以後、無投票も含め5期、市政を担った」

首長としてのポリシーは父親から受け継いだ〝決断と責任〞だった。推進したのは生涯学習センター建設などハードから福祉や市民と協働した様々なソフト事業の展開。こうした実績を自負に、今後は官民を連携できる後進の育成に取り組む。【岡村繁雄】

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編集室システムU

西多摩地域を中心とした東京25区管内の政治、行政、経済社会、トピックスなどを配信する「東京25ジャーナル」の編集室。
“地域の今”を切り取ります。

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