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森村隆行都議 特別インタビュー 都議選 幅広い支援層で大きな票

都議会の改革進展 DXは今後、都政の1丁目1番地

弱者に光社会政策大きな成果

昨年の都議選青梅選挙区で再選を果たした森村隆行都議(都民ファーストの会)に2期目の抱負を聞いた。議会改革や社会政策で大きな成果を出していることや、今後は都政でDX(デジタルトランスフォーメーション)を積極的に進めていくことなどを力強く語った。インタビューは大要次の通り。なお、1問1答はニュースサイト東京25ジャーナル2月12日号で掲載。(東京25ジャーナルで検索)=1月10日、青梅市河辺町の森村事務所で。(聞き手・岡村信良)

コロナ・経済 取り残される人が多ければ社会は不安定に

昨年の都議選について、「当初5票差で勝ち負けが決まる接戦だと考えていた。都議選の1人区はスイングシティーと呼ばれ、連続当選が難しい激戦区だと聞いてきた。青梅市選挙区では近年、自民の野村有信氏、民主の山下容子氏、自民の野村氏、そして前回は私と選挙ごとに当選者が変わっており、私の連続当選は都民ファースの会内でも厳しい見立てだったと思う。それでも皆さんのご支援で大きな票をいただいた。保守層から改革派の方々まで幅広くご期待いただいたものと受け止めている。市議会では市民フォーラム青梅の皆さんや飛騨紀子市議が応援してくれた。連合東京をはじめとする団体の皆様からの推薦、青梅の未来を創る会の献身的な活動など、本当にありがたかった」。

インタビューに答える森村都議

国政に進出するファーストの会について、「小池知事は昨年、過度の疲労を理由に2度入院したが、今も大きな負担がかかり続けている。コロナ禍にあって都民を守るには、知事の他にも都ファと連携して国とやり取りできる国会議員が必要だという議論が、立ち上げのきっかけになったと感じている」。

小池都知事は東京大改革を掲げてきた。都民ファーストの会が2017年に掲げた公約の進捗状況は、「80点台に乗ったと思う。政務活動費の使い方や本会議や委員会のインターネット中継など議会改革が大きく進み、都道府県議会改革度ランキングは40位台後半から8位にまでアップした。社会政策も大きな成果を上げている。女性活躍と子育て支援政策が大きく動いた。障がい者や性的マイノリティなどの差別解消の取り組みが進み、働き方改革、受動喫煙防止など、国際社会の目が注がれるオリパラ大会に合わせて様々な変革を形にした」。

積極的に取り組んだDX(デジタルトランスフォーメーション)について、「DXを進めるよう小池都知事に進言し、若手チームの勉強会を立ち上げた。都は、副知事にヤフーの社長を務めた宮坂学氏を迎え、デジタルサービス局を設置。『未来の東京』戦略の実現に向けて、DXの推進をテコとした都政の構造改革を進め、行政サービスの質を向上させていくというものだ。世界の都市間競争のなかで東京の力を維持するためにも、DXは今後、都政の1丁目1番地の政策になると思う。また一方、高齢者などを取り残さないよう、デジタル格差を是正する政策もセットで進めていく」。

インタビューではこのほか、青梅市選出の都議としての取り組み、アベノミクスや岸田内閣が掲げる新しい資本主義への評価、青梅市の教育問題などに話が及んだ。

父の背中 ■15■ 先代の仕事と教え

街づくりのバトンタッチ

あきる野市議 臼井建氏

 秋川市とあきる野の市政を担った臼井孝氏には〝青年市長〞の呼び名がよく似合った。政治へのデビューは1967年、26歳のとき。舞台は旧秋多町議会。以後、市制施行で誕生した秋川市の議員を経て77年、市長に当選。全国最年少市長として話題を集めた。

「私が生まれた69年には、すでに町会議員。そんな父の政治活動をはじめて意識したのは小学校2年のとき。初の市長選で家にも人の出入りが激しく、支援者の期待を肌で感じ、当選できてうれしかったことを覚えている」

こう振り返るのは、長男で現あきる野市議会議員の臼井建氏。中学生までは、何かあると「市長の息子」といわれ続け、嫌でたまらなかったという。学園生活を満喫できたのは知人のいない中央大学付属高校に入ってからだ。街づくりのバトンタッチ

「そのころはまだ政治家志望ではなかった。中大の法学部に進み、そこで父がよく語っていた地方自治について講義を受け興味を持った。在学中に4期目をめざす市長選があったが、秋川市をスポーツと音楽の街にという父のスローガンは魅力的だったと思う」

おそらく、このころから建氏には政治への意欲が芽生えたのだろう。卒業と同時に東京都に入庁。最大の自治体で行政能力に磨きをかけるのもさることながら、都と連携し秋川流域の発展を進める父親を支える人脈を広げたいとの深謀遠慮があったに違いない。

「幸い、総務局や政策報道室など主要な部署に配属され、比較的早い時期に管理職にも登用された。結果的に25年間勤務したが、同期の仲間たちも順調に昇進している。ものごとを動かせる人脈はあきる野市の街づくりに役立つはず」

建氏があきる野市議会議員に初当選したのは2017年。大先輩でもある父から託されたのは、あきる野市の将来。それを確かなものにするために、いつもアドバイスされてきたのが、市民の話をよく聞き、仲間を信頼するという政治信条だ。【岡村繁雄】

コラム執筆者

編集室システムU

西多摩地域を中心とした東京25区管内の政治、行政、経済社会、トピックスなどを配信する「東京25ジャーナル」の編集室。
“地域の今”を切り取ります。

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