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災害対応可能なキッチンカー製作 創業翌年に 関東大震災

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交運社が創業100 周年 社是「誠実努力」の碑建立

創業精神の世のため、人のため 次代につなげ 地域と共に発展

「誠実努力」の碑を前に100 年の節目に思いを寄せる田村社長 (左)と兄で前社長の田村利光氏(現都議会議員)

自動車総合整備や保険業務を手掛ける交運社(福生市福生、田村勝彦社長)が今年創業100周年を迎えた。記念事業として炊き出しなどで使用するキッチンカーを製作したほか、社是の「誠実努力」の碑を建立した。4月27日に除幕式を行い、今後も地域のためになる事業展開に邁進することを誓った。  (岡村信良)

同社は1922(大正11)年4月、初代社長の田村孫次郎氏が運輸業として創業した。孫次郎氏は勤務先の製糸工場で貨物自動車を一目見て、自動車の限りない可能性を直感。仲間を集め起業したという。全国の自動車保有台数が1万5000ほどのころ、福生村福生にシボレー社の貨物自動車2台がお目見えした。

翌年、関東大震災が発生。東京が壊滅的な打撃を受ける中、罹災者の輸送、再建物資の運搬などで交運社の貨物自動車は大車輪の活躍を見せた。世の中に自動車輸送の時代の幕開けを示すことになった。昭和に入り戦時色が強まると、主力事業を部品販売に切り替えた。戦後は部品販売に注力。自動車整備事業への道を拓いた。

昭和30年代、高度経済成長が始まり、自動車社会の幕が上がると、1961年に現トヨタS&D西東京㈱の原点になるパブリカ多摩㈱を設立。時代の追い風を受け、自動車販売と整備事業の両輪で急成長。店舗と整備工場を西多摩内外に拡大し、地域住民の充実のカーライフを支え続け、地域発展に貢献してきた。

孫次郎氏の逝去した後、事業は妻のきよさん、娘婿で3代社長の利一氏が戦中、戦後の困難な時代を潜り抜けて守り、高度経済成長期になると利一氏と実弟で4代社長の天野正男氏がリーダーとなり躍進した。その後は保険事業に進出するほか、コンピュータシステム会社、西多摩新聞社や多摩ケーブルネットワークのメディア事業にも翼を広げ、トヨタS& D 西東京㈱、西多摩運送などを含め交運社グループを確立。西多摩の産業界をけん引してきた。

この間、社長は5代征利氏、利一氏と同じ都議会議員の道を歩む6 代利光氏、7代勝彦氏に継がれている。

なお、今年で創業100年の節目を迎える企業は全国で1050社余り。東京では約150社ほどになる。

社是の「誠実努力」を刻んだ石碑は、創業日の4月26日に合わせ27日、同社に隣接する田村社長の実家の敷地に建立された。除幕式には親族、同社を支えた歴代の役員ら関係者50人余りが出席。1世紀の歩みに思いを馳せた。

碑は愛媛県北部で産出され、昔から石碑などに広く利用されてきた伊予の青石で、台座を含め高さ約2・3㍍、幅約0・8㍍。文字は利一氏が喜寿を迎えた際、揮き ご う毫した。

田村社長は「振り返れば創業の時期は第1次世界大戦禍で、スペイン風邪が流行するなど正に10 0 年後の今の世相を彷彿させるが、天は交運社に100年は通過点と試されているのだと思っている。創業精神の世のため人のため、その根底にある〝誠実努力〞は祖父利一が座右の銘にした言葉。正男氏からは『交運社をつぶすな』と檄を受け、父征利は事業を守るため圧倒的な気迫で前進する姿で範を示してくれた。100年を迎えられたのは株主、歴代の役員、社員、ご愛顧を賜った取引先、お客さまのお陰と感謝し、今後も受け継がれてきた創業精神を次代につなげ歩みを進めたい」と決意を披露した。

キッチンカーは約半年を費やして製作。トヨタダイナ2㌧アルミバンを改装。流し台、調理台、2口ガスコンロ、冷蔵庫などを搭載。設備の寸法に正確をきし、レイアウトを工夫したことで、コンパクトな空間ながら作業しやすい動線を確保した。車体には温かいご飯など炊き出しをイメージしたイラストが描かれるほか、歴史が分かる昔の写真をプリント。関東大震災で復興に汗を流したことが原点であることが一目で分かるようにする。

製作に当たった同社青梅工場の岡野博幸取締役部長は「初めての経験であり、手探りの中で、工夫を凝らし何とか納得のいくものができた。様々な場面でキッチンカーが多くの人の役に立てたらうれしい」と話した。

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