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通学路の整備に一層努力

新型コロナ対策を推進、都知事に72 回要望書

 2021年7月の都議選西多摩選挙区(定数2)で再選した清水康子都議(都民ファーストの会)に、都政に対し西多摩の課題やまちづくりをどう伝え、地域の発展につなげていくかを聞いた。新型コロナウイルス対策では、ワクチン接種推進や医療機関を守ることに尽力。初当選以来、街頭や駅頭に立ち続けて現場を見る中で、社会インフラ整備が遅れている西多摩の中でも通学路の整備に一層力を入れたいとした。デジタル技術と高速通信網は西多摩での暮らしやすさを高めるとし、普及に意欲を示した。このほか、自助、共助、公助のすべてを底上げしていくという防災対策、檜原村の産業廃棄物処理場建設問題、男女共同参画と女性の活躍、参院選の結果などについて語った。インタビューは大要次の通り。なお、1問1答はニュースサイト東京25ジャーナル7月30日号で配信。(25journal.net) =7月19日、羽村市の事務所で。       (聞き手・岡村信良)

小池都政の与党議員として汗をかいた新型コロナウイルス関連の取り組みでは、都民の命と暮らしを守るのが第1と、東京都と西多摩のワクチン接種に全力を挙げたほか、最前線にある公立福生病院、公立阿伎留医療センター、奥多摩病院の物品調達・経営補助に力を入れた。感染ピーク時でも医療機関がひっ迫する状況は避けなければならない、と各保健センター、施設と連絡をとりコロナ対策では東京都知事に72回要望書を出したという。

都議自身も昨年9月に新型コロナウイルスに感染し、入院した。レントゲンでは両肺が真っ白、1年近く経った今でも味覚や嗅覚がなく、頭痛や脱毛などの後遺症に苦しんでいる。「妊婦さんやひとり親家庭、障がい者、認知症の方など、ご家族を含むフォローの大切さも痛感した。医療や福祉のネットワークづくりを今後の課題とし、しっかり取り組んでいきたい」。

初当選から街頭、駅頭立ちは、どこへでも出掛けて1000日を超えた。「皆さまの声を頂けることが大きい。例えばフリースクールに通う親御さんの声が、東京都の令和4年度予算で、億単位で付いた。また通学路に立ってがく然としたのが、大型車も多く通る通学路の道幅が低学年の子の肩幅しかない所、通学路の指定はされているものの車道しかない所などいくつもの危険個所を見かけたこと。私自身5人子育てを経験し、小学校に入学すると登下校をはじめ親の目が行き届かず不安だった」とし、社会インフラの整備が遅れている西多摩で通学路の整備には一層力を入れていきたいとした。

三多摩格差、西多摩格差の解消の1つとしてデジタル技術と高速通信網整備を掲げていることには、「コロナ禍で感染症対策の1つとしてテレワークを推進し、在宅やコワーキングスペース、サテライトオフィスを使った勤務がI T 関連企業を中心に大きく前進した」とし、「テレワークは、人に会うのがちょっと苦手な人や、様々な条件で出社は難しいという妊婦さんやひとり親家庭、障がい者、認知症の方などの活躍の場を広げるツールの1つと期待する。都心から距離があり、通勤はやや大変だが、豊かな自然など環境に恵まれ、子育てしやすい西多摩はテレワークがさらに定着すると見ている。デジタル技術と高速通信網の普及は、遠隔医療や教育などに利用でき、西多摩での暮らしやすさを高めるチャンス」と意欲と期待を示した。

父の背中 先代の仕事と教え

百年企業が誇る人と団結

 明治初期、玉川上水を利用して船運を手がけたのが桝屋グループのはじまりである。やがて、明治40年(1906)には福生の地に合資会社桝屋商会が誕生。以来、分社経営で米穀や石油製品、荒物などを西多摩で商う。

「いわゆる〝百年企業〞への歩みは、加藤市蔵を初代とする一族の団結が原動力となった。飛躍は3代目・市蔵のとき。株式会社に改組していた桝屋は、1958年にスーパーマルフジを開店。そこには私の祖父である裕一の生鮮食品需要が伸びるとの予見があったと聞く」

この中興の祖ともいうべき裕一氏をサポートしたのが、79年に桝屋に入社し、2007年に7代目社長を継ぐことになる加藤和夫氏だ。長男で、13〜20年までマルフジの社長を務めた加藤裕太郎氏はこう語る。

「53年、千葉県八街市に生まれ、早稲田大学に進み野球部でキャプテンに推された。卒業後は日産自動車でプレーした。そんな父は、のちに福生市長になる遠戚の加藤育男氏の結婚式で司会をする姿が曽祖父の市蔵さんの目にとまり、孫娘の婿に望まれたという」

確かに受験合格組で主将ともなれば、経営者の素質は十二分に備えていたに違いない。裕太郎氏はそれを野球で培った責任感の強さと見ている。自身もまた早稲田中学・高校から大学、しかも野球部という同じ道を歩んだ。

「父は複合施設など新業態の開発を手がけ、85年にはホンダマルシェ(現ホンダ東京西)を立ち上げた。現在は桝屋グループの会長職にあるかたわら、青梅法人会長や社会人野球の西多摩倶楽部部長といった役職にも就いている」

公的な立場を大事にするのは地域への恩返しでもある。裕太郎氏もいま、羽村市内でSAKURAフィールドという室内野球練習場などを運営。これも「快適な空間で気軽に運動ができる」という地域の人たちへの楽しさの提供にほかならない。    【岡村繁雄】

コラム執筆者

編集室システムU

西多摩地域を中心とした東京25区管内の政治、行政、経済社会、トピックスなどを配信する「東京25ジャーナル」の編集室。
“地域の今”を切り取ります。

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