日航ジャンボ機事故忘れぬ一枚
8月12日 東京湾から富士山望む夕日の写真

「昇魂の後光」
房総半島から東京湾を越え、三浦半島、富士山を望む夕日の写真――。遠泳家、遠泳アドバイザーとして多くの海を見てきた檜原村の宇田快さんが、この写真を見せてもらったのが5年ほど前。息を呑む美しい夕日の写真を多くの人に見てもらいたいと思った。同時に撮影日時に驚いた。
檜原の宇田さん 多くの人に見てと奔走

写真集を手にする山崎さん
1985(昭和60)年8月12日。まさにこの時、この夕日の空のどこかで旅客機が迷走飛行していた。
写真は鋸南町保田の元名海岸で撮った。撮影者は当時、漁業と観光関連の仕事をしていた山崎源治さん。宇田さんは学生時代、夏休みの臨海学校で保田に訪れる子どもたちに水泳指導をしていた。山崎さんも安全管理で携わってくれ、2人はその時以来、交流を続けている。
「あの日、あまりにも美しい夕日だったので」。カメラが趣味だった山崎さんは外に出て、何回もシャッターを切った。家に入り、テレビを見ると日本航空123便ジャンボジェット機が行方不明とのニュースを各局が報じていた。
123便は羽田空港発、大阪伊丹空港行き 1985(昭和60)年8月12日。まさにこの時、この夕日の空のどこかで旅客機が迷走飛行していた。
写真は鋸南町保田の元名海岸で撮った。撮影者は当時、漁業と観光関連の仕事をしていた山崎源治さん。宇田さんは学生時代、夏休みの臨海学校で保田に訪れる子どもたちに水泳指導をしていた。山崎さんも安全管理で携わってくれ、2人はその時以来、交流を続けている。
「あの日、あまりにも美しい夕日だったので」。カメラが趣味だった山崎さんは外に出て、何回もシャッターを切った。家に入り、テレビを見ると日本航空123便ジャンボジェット機が行方不明とのニュースを各局が報じていた。
123便は羽田空港発、大阪伊丹空港行きの定期旅客便で、事故当日の18時12分、定刻より12分遅れて羽田を離陸した。伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かるころの18時24分、機内客席の気圧の影響で、機体後部の圧力隔壁が破損。垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムを全喪失して操縦不能に陥り迷走飛行を続けた。18時56分に後向き約0・14Gの衝撃が加わって右側第3、第4エンジンの出力が異常な速さで低下し、18時56分ごろ群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。
改めて写真を確認すると、三浦半島の先に富士山。その北側に御巣鷹の尾根がある関東山地が連なっている。山崎さんは写真のタイトルを「昇魂の後光」と名付けた。
宇田さんは今年、ニュースで、「茜雲 そのあとに」という冊子を知った。8・12連絡会(日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故被災者家族の会)が昨年発行したもので、手記や写真で事故からの40年を記録したものだ。事務局に連絡し、取り寄せた。「美しい夕日の写真」と「茜雲」に何か因果の力を感じた。
「遺族にとって事故を忘れられてしまうことが一番つらいこと。あの日、檜原村でも西の空に機体を見たという人は少なくない。事故を風化させてはならないと思う。山崎さんの写真を少しでも役立てたい」と宇田さん。
山崎さんの作品には保田のきれいな海岸線や観光客でにぎわう海など記録的価値のあるものも多い。「8月12日に向け写真展を企画してもいい」と宇田さんは山崎さんと準備を始めている。

「事故を風化させない」と宇田さん
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