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GW 禅寺に身を置く 静寂の空気、風と語らう

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GW 禅寺に身を置く 静寂の空気、風と語らう

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は著書『21世紀の人類のための21の思考 21Lessons』で、21番目の項目に瞑想を掲げ、「ひたすら観察せよ」と説いている。気持ちを落ち着かせることが重要で、人間性を失ってはならない。ひたすら心の内面を観察することの大切さを訴えている。(岡村信良)

歴史刻む名刹 高峯山天寧寺 美しい七堂伽藍が迎える

青梅市根ヶ布。成木街道を離れ、霞丘陵側へ向かうと、曹洞宗の名刹、高峯山天寧寺の総門が現れる。門をくぐると空気が変わって感じる。参道を進むと、一層清浄さを増し、丘陵を背景に木立に囲まれ、歴史を刻んできた七堂伽藍が迎える。

七堂伽藍とは、法堂(はっとう)、仏殿、山門、庫裡、僧堂(坐禅堂)、浴司(よくす)、東司(とうす)(手洗所)を指す。堂塔の配置は典型的な曹洞宗のもの。都文化財に指定されている。

寺伝によれば、創立は天慶年間(938〜946)に平将門が開創。顕密兼修道場だった。その後、兵火により堂宇は焼き尽され廃寺となったが、文亀年間(1501〜04)に将門の後胤でこの地の領主、三田弾正平政宗の帰依によって再興され、寺勢を盛り返した。

曹洞宗の坐禅は「只管打坐しかんたざ」、ただひたすらに坐ることだ。坐禅をする姿そのものが仏の姿であり、悟りの姿。人は日常生活の中で自分勝手な欲望や物事の表面だけに振りまわされてしまいがちだ。だが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心だという。ハラリ氏が言う「ひたすら観察せよ」にも通じるだろう。

寺では浴堂、僧堂、東司の3カ所を三黙道場とよび、中においては談話をしてはならないとされる。寺の堂はどの場所も道場なのだから坐禅と同様に一生懸命勤めることが肝要で、1つもおろそかにしてはならないという意味だ。禅の精神がよく顕されている。

山寺の風情 黒澤山聞修院 寺名は「聞思修」仏教の言葉から

山寺の風情を醸す青梅市黒沢の曹洞宗黒澤山聞修院。青梅多摩七福神の寿老人を祀る寺でもある。

創立は天文年間(1532〜1555年)。開基は地元の黒沢蔵之助。開山は同市根ヶ布の天寧寺三世霊隠宗源大和尚と伝わる。本堂には本尊の阿弥陀如来が安置される。

山号の黒澤山は、開基と地名から取った。また、「黒沢」は玄渓(真理の渓川)という意味があり、同院にあった寺子屋は玄渓学舎と名乗った。

寺名は「聞思修」という仏教の言葉から付いた。仏法を聴聞し、自ら思惟し、仏道を実践修行するという理念が込められている。

釈迦の十大弟子に阿難(あなん)がいる。釈迦の侍者として常に説法を聴いていたことから多聞第一と言われた。

出家後、釈迦が亡くなるまで25年間常に近侍し、身の回りの世話もした。そのため釈迦の教説を最も多く聞き、記憶した。

釈迦滅後、釈迦の教えを記憶に留める作業が行われた。いわゆる経典結集だ。参加資格であった阿羅漢果を得ていない阿難は死に物狂いで瞑想修行に励み、阿羅漢果に達した。晴れて参加した阿難は記憶に基づいて釈迦の教えを口述し、経典が編纂された。漢訳経典の冒頭には「如是我聞(にょぜがもん)」という定型句がある。「我は仏陀からこのように聞いた」という意味だが、この我とは多くが阿難とされる。

気持ちを落ち着かせ、心の内面を観察することは、外からの声を素直に聞けることにも通じる。

 

■昔から寺院は様々な人が集まる場だった。人と人との出会いの場、いろいろな思いの発信の場でもありたいとの思いから両寺では、坐禅の会、お経の会、ご詠歌の会をはじめコンサートなどのイベントが行われている。

聞修院では4月29日、不動明王祭禮「みどりのまつり」が開催される。11時〜大般若法要が、10時〜黒沢囃子、福引などが行われ、露店が並ぶ。当日は駐車場に限りがあり、公共交通の利用を呼びかけている。

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