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都議選 都ファ勝利は新たな選択肢への期待

総選挙 都ファ投票者らの動きに注目

2021 選挙検証 ②

7月の都議選は事前に苦戦が伝えられた都民ファーストの会が議席は減らしたものの大勝利だった。一方、自民は第1党に返り咲き、公明は全員当選を果たした。だが、自公は内容的には惨敗だった。圧倒的な組織力を持ち、低投票率という好条件の中で圧勝できなかった。野党共闘で候補を調整した立憲民主、共産は議席を増やしたものの効果は限定的だった。           (東京25ジャーナル・岡村信良)

都議選は国政を占うと言われてきた。都議選から浮かびあがる有権者の思いは「自公政権への失望」、「野党連合政権への不安」、「新たな保守勢力が結集すれば望みを託す」というところか。国政に都都議選総選挙 都ファ投票者らの動きに注目都ファ勝利は新たな選択肢への期待ファ的な勢力があれば、今秋の総選挙は政権が変わる。ただ、今はその勢力がない。

都ファの善戦は東京25区管内の西多摩(定数2)、青梅市(同1)、昭島市(同1)の3選挙区でも顕著だった。青梅市、昭島市で自民候補を破り、西多摩でも前回に次いで1人に絞った自民候補の得票を上回りトップ当選を果たした。

都ファの3現職はいずれも地元で存在感を示し、この4年間しっかり保守層に食い込んできた。併せて新型コロナウイルス感染症対策で後手を踏み、保守層からも支持を失う自民党支持層の受け皿になったことが3議席を守る結果になった。

中でも青梅市選挙区の森村隆行都議は自民新人の山﨑勝氏と一騎打ちとなったが、圧勝した。都知事を招いた都政報告会、自治会や各種団体とつながる日常活動を小まめにこなしてきたことに加え、政治団体の青梅の未来をつくる会(宮崎精一代表)からの支持は大きな力となった。同会の会員らが中心となり組織的な選対を立ち上げ、街宣活動にも力が入った。さらに野党共闘候補の擁立が見送られ、飛騨紀子青梅市議2021 選挙検証 ②などの支援も追風になった。

今回の都議選を見る限り、都ファ候補を当選に導いた勢力は自公に相対する塊になる可能性を秘めている。塊ができれば、大臣を経験して7度目の選挙に臨む自民の井上信治衆院議員にとって初陣以来、最も厳しい選挙になる。

こうした中、都議選で都ファ候補を支援した大勢待利明、片谷洋夫の両青梅市議と馳平耕三羽村市議が「西多摩・昭島無所属の会」の立ち上げを目指すことになった。青梅市、西多摩、昭島市で都ファが自民党に代わる新たな保守の選択肢を示して全員当選したように、「総選挙で無所属系議員の連携を深め、新たな選択肢を示したい。東京25区を良くする流れをつくる行動を取る」という。

井上陣営にとって、自身の秘書を務めた候補の都議選惨敗、日の出町長選では自民推薦候補の敗戦、羽村市長選と瑞穂町長選の保守分裂はこれまでにない厳しい環境になっている。しかも対立候補は元都議で、野党共闘で臨む立憲民主新人の島田幸成氏。島田氏は自民支持層にも知名度が高く、春夏の高校野球で全国に名を轟かせた東海大菅生高校の理事長の顔を持つ。

自民党総裁が代わっても、政治の信頼を裏切り続けてきた自公への逆風はおそらくピタリとは止まない。一方で野党共闘に政権を託す安心感は希薄だ。最も不幸なことはそんな選択肢に有権者が無関心になることだ。

「コロナ対策がおかしい」「金権選挙は許さない」「緊急事態宣言下に銀座に行く議員はけしからん」と思えば、政権を変える投票をすればいい。「民主党政権のような事態はこりごりだ」と思えば引き続き自公政権を支持すればいい。 目の前にある選択肢で、それぞれがいいと思う方を選ぶ。一票を行使することの重み、総選挙は有権者も問われている。

酒蔵は地域と自らの誇り

石川酒造 石川彌八郎氏

400年続く家系。酒造りをはじめた江戸期・文久3 年(1863)から数えても150年余の歴史を持つ。石川酒造はもはや旧家というよりも福生の名家。その分、地域に対しての責任も求められると、18代目当主の石川彌八郎(太郎)氏はいう。

「先代も家業と政治の両面で地域に関わってきた。私が小学生のころには清酒『多満自慢』の営業に走り回っていた姿を覚えている。やがて福生市長を3期12年務めた。これも地元との共存共栄を願ったからだろう」

太郎氏が先代と呼ぶ17代目彌八郎(慶一郎)氏は、1934年生まれ。慶応義塾大学を卒業すると、当時の石川酒造所に入る。社長に就任した直後の80年代には地酒ブームが起こり、地元密着型の経営には追い風になった。

「バブル景気の時代、父も活力のある老舗経営を展開した。酒蔵を大規模改修し、多角化経営をめざして鉄板懐石やフランス料理のレストラン、スイミングスクール運営に乗り出す。確かに最初は儲かったが、バブルの崩壊とともにお荷物になっていく」

大学を出た太郎氏が酒蔵に戻ったのが90年。バブルが弾ける1年前のことである。その2年前、父親は福生市長になっていた。1期目、公の仕事をないがしろにはできない。太郎氏にしてみれば、長男ゆえにポストバブルの後始末を強いられたような気がした。

「迷いを払拭してくれたのは、父の代に編纂された『石川酒造文書』に残された慶一郎の日記。平成も数年過ぎると出荷量が落ち『多満自慢の危機である』といった記述も散見されるようになる。父の苦労に触れ、がんばるしかないと……」 そんな思いが凝縮したのが、慶一郎氏から事業承継した際に決めた「石川酒造は、地域の誇りであり、自らの誇りである」という経営理念。太郎氏はこの志を胸に、歴代当主の背中を見つめながら歩いている。     【岡村繁雄】

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西多摩地域を中心とした東京25区管内の政治、行政、経済社会、トピックスなどを配信する「東京25ジャーナル」の編集室。
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