青空 台地 農の風 ~ 農のあるまち 生きる人たち~
情報発信で地域になくてはならないものだった
有線放送電話の思い出(下) 森田美実 (JA西東京代表理事専務)
全自動(A型)有線放送電話設備導入を計画したが、紆余曲折
有線放送電話設備は5年ごとに、運用許可の更新を行うことになっており、この時期に合わせて、線路設備の更新を含め、全自動(A型)有線放送電話設備導入を計画して、昭和39年5月許可更新時に自動化(A型)するという計画案を総会に諮り、承認されました。この年、農協では新しい事務所の建設工事を進めており、「ゆうせん」の自動化もこの工事の進行と合わせて行うことになりました。
その後、昭和50年代に入り、交換機の老朽化が進み、 部品の供給も非常に困難となり、数年後には存続するのが不可能で、廃止するか新たな方式に転換し存続させるのか、検討を迫られることになりました。昭和52年の総会では、率直に状況を説明し、年度内に存続か廃止か、方針を決めたいと諮りましたが、廃止の意見はありませんでした。翌年の総会でも、「基本的に存続する。」ことに決まりました。
昭和53年に入って間もなく、我が国で初めての電子式施設を導入する準備を始めることになりました。そのような中、新農業構造改善事業実施計画の一環として、国の助成によって農村情報連絡施設の改善が出来ることになりました。
その結果、幸運なことにテストケースとして、全国で初めて当三田農協と兵庫県の五色ヶ丘農協の2 つの施設が助成対象に決まりました。またとないチャンスに施設更新を進めていくこととしました。ところが、第2次オイルショックの影響や都市計画法に基づく、市街化調整区域と市街化区域の線引き見直しが行われることになっていました。その結果、地域の意向を尊重し 「新農業構造改善事業の取り消しを受けても市街化区域への編入を希望する」と決定、これにより「ゆうせん」が補助金対象から外されることが決定的になってしまいました。
ところが、すでに設備の一部を発注済みであり、製造過程に入っているので中止することは出来ない状況になっていました。事業総額は1億2500万円、止むなく青梅市に4200万円を補助金として助成を、また地元の沢井地区環境施設整備委員会に対し、環境整備基金から7000万円の配分をお願いすることになりました。
その結果、地域の皆様からは、温かいご支援を戴くことが出来、地区環境施設整備委員会は市長に対し基金の交付を依頼しました。これを受けて青梅市では、市議会に諮ることになりました。その結果、議会の承認が得られて、市の補助金が57年の年初に、基金は3月に交付されることが決定しました。
電子式自動有線放送設備が完成
以後、工事も順調に進展し、追加加入者の工事も終わって、5月31日には試験通話が開始されました。6月24日、青梅市の立ち会いの下に、日本有線放送電話協会の完成検査が行われ合格したため、26日の午後2時より、電子式自動有線放送設備の完成祝賀会が三田農協本店で開催されました。
特に、電気通信分野では技術革新の時代になり、 素晴らしい機能を持った設備が次々と生産されてきました。そのような中、「ゆうせん」は本来であれば新たな設備へ定期的に更新していくのが理想でしたが、設置から20年を経過して、これからの費用負担等を考えるとすでに限界が来ていました。また、農協合併を控え運営面において厳しい状況でした。
『ゆうせん』の長い歴史に幕
そのようなことから、平成12年1月に第1回有線放送推進委員会が開催され、施設の実情が報告されました。その結果、3月末日で維持料にもとづく運営を中止し、6月末で全面的に廃止する方針 が示されました。
そして、平成12年3月24日に開催された理事会において、方針が承認され、6月25日の第11回青梅市農業協同組合通常総代会において廃止することが決議され、廃止が決定しました。これで、『ゆうせ ん』の長い歴史に幕が下ろされました。
むすびに
有線放送電話が開設されて60年を経過して当時を知る人も年々少なくなってきました。開設当時から携わった福島和夫氏(青梅市御岳本町在住 )が出版された書籍(有線放送電話のことごと・有線で 築く人の和 地域の輪)から文章を作成いたしました。
私は、昭和53年に入職して約5年間業務に携わりましたが、「ゆうせん」は地域の情報発信元で災害時や事件・事故の緊急放送など地域になくてはならないものでした。そして、自然災害などで故障発生すると修理に駆け付けますが、なかなか故障箇所が発見できず苦労したことを思い出します。現在、当時の業務を経験した職員が2 名在職しており、時々思い出話や苦労話をしております。これからも、「ゆうせん」について語り継いでいきたいと思います。
(文章はJA西東京の『笑顔』2024新年号から転載しました)