西多摩地域を繋げるニュースサイト 街プレ -東京・西多摩の地域情報サイト- 西多摩版(青梅市・福生市・羽村市・あきる野市・瑞穂町・日の出町・奥多摩町・檜原村)
新着記事

歴史スケッチ その4

昭和の鮮魚の流通容器は「桶」か「樽」か?

初ガツオ、水揚げされた沼津から青梅へ、現在であれば、プラスチックの「トロ箱」か、発泡スチロールのコンテナーで運ばれるのですが、杉材製の容器で流通していた江戸、明治の時代がありました。

鮮魚の運搬でも、イワシやサバ、カツオなどは、鮮度を保つ工夫をした容器での輸送が欠かせませんでした。酒樽を逆さにしたようなこの容器、魚市場から遠い多摩地方では、目にすることはほとんどなかったのだと思われます。

普通の樽は上蓋が広い

板を組み合わせた桶や樽の場合、底部を強く締める必要から、多くの器は口縁部を広くし底部は狭く絞る形状がとられました。兵庫の灘からはるばる船で江戸まで運ばれた「灘の銘酒」の四斗樽(しとだる)も、地元産の醤油や味噌も樽で流通していましたので、上蓋部が広いタイプの樽が、一般的に用いられてきました。

しかしスケッチに残るこの「樽」、地域によっては「逆さ樽」との呼び名もあるように、スタイルと使用方法が一般とは逆さです。鮮度を保つために、魚だけではなく冷水、あるいは海水を入れ、きっちりと上蓋を押し込んで、多少の傾きではこぼれない樽の状態にし、水に強いシュロ縄の輪と底裏のソリ状の板で、樽を滑らせるスタイルに造られた物でした。魚市場でも、トラックの積み下ろしでも、シュロ縄の輪で引き回すには、重心を低くした「逆さ樽」ならではの利便性を備えていました。お酒にかぎらず味噌、醤油の樽も、上蓋がはずされたとたんに、「桶」と呼び名がかわります。樽は倒しても簡単にはこぼれないが、桶は溢れるのでちゃんと「オケ」との区別があります。

今から40年以上も前の1982年(昭和57年)に、青梅で開催された桶樽展で紹介されたこの樽は、カツオの水揚げ、全国1位の静岡県、中でも県内トップの焼津に次ぐ、第2位の沼津から紹介された、河辺町4丁目の鮮魚店まで、初ガツオを運ぶのに用いられた樽でした。沼津と屋号のカギに金の文字が大きく墨書してあり、迷わず沼津に戻るはずが、口がきけぬ悲しさ、1979(昭和54)年の春、初ガツオを運び終わった後は、筆者が調査に取り上げるまでの3年間、救急救命センターに急ぐ救急車の悲痛な叫びを数知れず、また2月の日曜日には万を超えるランナーの洪水、応援の雑踏、容易に途切れぬゴール前の人の流れを目の前に、静かに静かに出番を待っていてくれました。カメラを携え伺った店の主人から「沼津の会社の連絡先」をいただき、郷土博物館からの協力要請、沼津の会社の答えは「差し上げます。」の一言、大変有りがたかった。水産業界が「トロ箱」や発泡スチロールのコンテナーに転換していた当時、なかなかの珍品でした。1982年2月に刊行された図録「桶、樽 その伝統と桶職人の技術 技術職人オケ展」の23頁に、「カツオ樽」の名で掲載、国会図書館、米国議会図書館に納本された。

(画・文大倉十彌也)

コラム執筆者

大倉 十彌也

文と画は大倉十彌也さん。「青梅うんちく散歩」のガイド役や「青梅再発見」の著者でも知られる大倉さんがスケッチブックを手に西多摩の歴史・文化を巡ります。

Copyright© 街プレ -東京・西多摩の地域情報サイト- , 2026 All Rights Reserved Powered by STINGER.