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25journal 父の背中 -39- 先代の仕事と教え

コラム

夢の継承、卓球センター

ここ10年ほど、卓球の人気が高まっているという。その背景には、一昨年の東京五輪で水谷隼・伊藤美誠ペアによる日本人初の金メダル獲得の活躍もあるだろう。実際、老若男女を問わず盛り上がりを見せていて、競技者人口は100万人を超すといわれる。

「父の趣味が高じて、秋川市(現あきる野市)瀬戸岡の自宅敷地内に秋川卓球センターを開設したのは1985年。私も東海大菅生高校に進学し、本格的に卓球に打ち込んだ。部活で練習、帰宅後もラケットを握る毎日だった」

この青木龍太氏の話に登場する父親の史義氏は1939年、満州で生まれている。戦後、命からがら内地に引き上げ、立川市砂川で幼少期を過ごす。高校生のころ卓球と出会った。勤め人になってからも続け、家の棚には多くのトロフィーが並んだ。

「父は仕事のかたわらセンターを運営し、私も手ほどきを受けながら成長することができた。地元の卓球愛好家たちが通ってくる子どもたちをコーチ。何人かが東京都大会で活躍し、全国大会に進み、ここの存在がだんだんと知られていく」

だが好事魔多し――2003年に史義氏にガンが見つかる。隆太氏は母の泰子さんの「お父さんの夢かなえさせてあげなよ」との言葉を前向きに受け止め、16年在籍した会社を退職。センターを継ぎ、るのスポーツを開業した。

「独立する際に周囲からは猛反対されたが、がんばるしかない。指導経験もゼロだったことから、卓球の技術だけでなく、人間育成をめざした。礼儀、挨拶、リーダーシップなど社会に出たときに必要な力を伝えたい」

ガンを克服し、84歳になった史義氏は、いまも3度の飯より好きな卓球にかかわる。地元中学校に指導で出向き、東京都市町村卓球連盟の事務を続ける。ただ、龍太氏のやり方に口をはさむことはない。全国レベルの選手も輩出した息子の手腕を認めているからにほかなるまい。

るのスポーツ 青木龍太氏

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西多摩地域を中心とした東京25区管内の政治、行政、経済社会、トピックスなどを配信する「東京25ジャーナル」の編集室。
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